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ジューン・ブライド 1

6月の爽やかな日曜日。
鎌倉の紫陽花で有名なお寺を訪れました。
梅雨入り宣言が出されたのに、今日はまるで5月のころのような爽やかな空気がわたくしを包んでいました。薄青から紫紺へと色を変えてゆく紫陽花の庭は、昨晩の雨のせいでしょうか。一段と澄んだ空気をたたえておりました。

「ねえさん、気に入った花でもあった?」
傍らをゆっくりと歩く男性は、わたくしがふと留めた視線に気がついたのでしょう。
「ええ、ほら。そこに射干の花が咲いているのよ。」
秋になればさぞや見事に色づくであろう紅葉の脚元に、白い可憐な花が群生していたのです。
「シャガ?はじめて聞くな。」
「そうね。あまり街では見かけない花だから。アヤメ科の花で、別名を胡蝶花ともいうのよ。まるで、小さな蝶が飛んでいるみたいでしょう。」
「ほう、なるほどね。」

繊細な白いレースを重ねたようなその花は、わたくしに今日がトモくんの披露宴の日だったことを思い出させたのです。いまごろ、彼はバージンロードを歩く新婦の手を、義父から受け取っているころかもしれません。




年始の3日間を過ごした名残がまだ回復しきらない1月10日の午後、トモくんから久しぶりのメールが入ったのです。

  祥子さん、ずっとメールくれないけど元気ですか?
  久しぶりに逢いたい。
  連絡ください。              トモ

逢いたいと言われても、彼はセフレなのです。
逢えば・・・彼と過ごす先は・・・何も身に纏うことのないベッドの上なのです。
わたくしは身体のことを思うと、簡単に返事をすることができませんでした。
体中に薔薇の蕾のように散らされたキスマークは、ようやく色を薄れさせたばかりでした。あと数日もすれば、すっかりわからなくなっていたでしょう。

わたくしに残されていた痕はこれだけではなかったのです。
幼女のようにされた茂みは・・・ほんの数ミリ萌え出てたばかりでした。
視覚的には微かな違いでしかなくても、剃刀で摘まれた鋭い先端は、いまもわたくしを淫らに苛み続けていたのです。
あまりの切なさに、この数日の間だけでも・・・どれほど自らの手で芽生え始めた翳りを摘み取ろうと思ったことでしょう。でも、それをすれば、わたくしの身体は永遠に元には戻る事ができなくなってしまいます。
仕事の合間ですら、ちくちくと柔らかい花びらを・・・真珠を苛む刺激に、秘かに唇を噛みしめながら耐えておりました。

トモくんは未だわたくしに、このようなことをしたいとせがんだことはありません。
ただ、ベッドを共にする度に現れる彼の性癖を考えれば、わたくしのこの身体の変化の意味に過剰な興味を抱くであろうことは簡単に予想できたのです。

こんな、淫らな姿を・・・彼に晒すわけにはいきませんでした。

  お久しぶりです。お元気みたいですね。
  お逢いしたいとは思うけれど
  ちょっと身体がだめなの。
  ごめんなさいね。        祥子

トモくんとわたくしの間で「身体がだめ」という言葉は、女性の月のものの時期のことを指していました。
最初のころは、それでもいいから抱きたいと・・・何度か駄々を捏ねられましたが、わたくしが嫌だというとそれ以上は無理強いをしてくることはなくなったのです。
これで、しばらくは諦めてくれるに違いない・・・と思ったのです。
・・・<しばらく>で解決する問題じゃないことは、充分に承知していたのですけれど。
 
なのに、わたくしの予想に反して、5分としないうちに携帯は新たなメールの着信を知らせてきたのです。

ジューン・ブライド 2

メールの発信者は・・・トモくんでした。

 年末もつかまらないし、ずっと祥子さんに逢ってない。
 あと、何日待てばいいの?
 早く祥子さんを抱きたいよ。    トモ

 
確かに彼からは何度もメールをもらってはおりました。ですが・・・紅燃える箱根の宿から帰ってからは、とうとう一度も逢っていませんでした。
メールからは、26歳の男性らしい直截的な欲求が押し寄せてくるようです。


 ごめんなさい。さっきはじまったばかりだから・・・
 1週間は逢えないわ。
 わたくしも、トモくんには逢いたいのよ。
 ほんとうにごめんなさい。     祥子

 
17歳年下のセフレ。
プライベートなことはなにも知りません。若さゆえの情熱に翻弄されて・・・淫楽に溺れる一時を共に過ごすだけの関係。
あの若さ・あの優しさ・あの気迫。
わたくしとの関係だけでなく、当然若くて可愛い恋人に不自由することはないにちがいないと思っておりました。
束縛することも、されることもない・・・関係。
ですから互いに一歩引いた冷静な関係を保っていたつもりでした。

 
 逢うだけなら時間は取れるの?
 セックスしたいって言わないから。
                 トモ

 
すぐに返信されて来たメールは、意外な内容でした。
こんなこと、初めてだったのです。
逢ってしまいさえすれば・・・あとはどうとでもなる、彼がそう思っているのかもしれないということは考えられました。
同時に、ここまであのトモくんがいうのです。
なにか話したいことでもあるのかもしれません。逢って、お酒なり食事なりを一緒に楽しみながらゆっくり話しをすれば、それで満足してくれるかもしれない・・・とも思ったのです。

 
 そう。それなら、お食事かお酒でもご一緒する?
 明後日の19:00に。場所は任せるわ。
                祥子

 
 うん。ありがとう。
 場所は後でメールする。明後日の7時だね。
 早く逢いたい。        トモ

 

口実として口にした<月のもの>のことが本当だとしたら、一番セックスすることのできないタイミングにあたる日を約束の日に選んだのです。彼の返信に少しだけ・・・不安は憶えましたが、仮に強く出られても拒否するだけのカードは揃いました。
少しだけ安心すると、あの快活な年若いセフレと数時間を過ごすことが待ち遠しくなってきたのです。

 
約束の日、トモくんが指定してきたのは老舗のおでんやさんでした。
都内でも雪がちらついた底冷えのする一日は、あたたかなお酒とお料理を一層恋しくさせたのです。

「ごめんなさい。待たせてしまったかしら。」
わたくしが、そのお店に到着した時には、彼はもうカウンターでビールを片手に大根のおでんをつついておりました。
「祥子さんだぁ。ひさしぶり。」
まだ冷たい外気をまとったままのわたくしを見つめる彼のまなざしは、想像よりも落ち着いて・・・でも熱のこもったものだったのです。

ジューン・ブライド 3

「店長、あっちの席に移ってもいいですか?」
トモくんはカウンターの椅子を引こうとしたわたくしの手を押しとどめると、まだ空いていた少し死角になるボックス席を指差したのです。
「はい、どうぞ。そのままお身体だけ行って下さい。あとはこちらでお持ちします。」
彼はすでに何度かこのお店にきたことがあるのでしょう。店長さんは快く答えてくださいました。
「お飲物はなにになさいますか?」
トモくんのグラスとおでんの皿と真新しい箸を運んでくださった店員さんが、ミンクのコートを脱ぎスーツスタイルになったわたくしのオーダーを聞いてくださいます。
「そうですね、熱燗をいただけますか。トモくんも飲む?」
「ん~まだいいかな。僕は、エビ黒を1本。」
「それじゃ、お酒は1合でお願いします。」
わたくしのオーダーの声に、カウンターの向こうの店長は無言のままで徳利に日本酒を注ぐと、銅の鍋のとなりのお燗場に首までとっぷりとつけました。
「祥子さんは好き嫌いはなかったよね。」
「ええ」
「じゃ、おでんは見計らいでお願いします。それと、べったら漬け。とりあえずそんなところで。」
 
ありがとうございます、店長・・・ 
オーダーをカウンターへと向かいながら復唱する店員さんの声を背に、わたくしは久しぶりに逢うトモくんへにっこりと微笑んだのです。
「お燗が上がるまで、ビールでもどう?」
わたくしの前に置かれたグラスに、届いたばかりのエビスの黒を注いでくれます。
「ありがとう」
グラスの8分目ほどまで注がれたところで、軽く上げてもうこれ以上はいいわ・・・と合図をします。
「もう松も明けちゃったけど、改めて。あけましておめでとう、祥子さん」
「おめでとう、トモくん」
チン・・・ 瞬く間に埋まってゆくカウンターの穏やかなざわめきの中で、彼と久しぶりの乾杯をしたのです。

「こんな風に一緒にお食事するの、はじめてね。」
「うん、そうだね。ビールを一緒に飲むのははじめてじゃないけどね。」
いつも車で移動する彼とは、ベッドに入る前に・・・1本の缶ビールを分け合うことは幾度かありました。
ただし<いつも>ではなかったのは・・・ビールを手にする間もなく、ベッドへとなだれ込んでしまうことも少なくはなかったからです。
「いいお店を知っていたわね。」
「ああ、ここ。いつかね、祥子さんを連れて行けるお店がないかと思って探しておいたんだ。祥子さんをいつも仲間と行く居酒屋なんかには誘えないからね。」
トモくんの視線がチラとわたくしのコートに走ります。ミンクのコートを着たわたくしと逢うのはもう3度目のはずです。前の2回はもう1年も前のことでした。
「ふふふ そんなこと構わないのに。ほんとうにいいお店ね、さすがだわ。」
いつも逢うなりそのままホテルへと車を走らせる彼が、こんなことを考えてくれているとは思ってもいませんでした。
「それに、こんなデートをしようとトモくんが思ってくれているなんて意外だったわ。」
「もちろん、いつも考えていたよ。でも、祥子さんとは逢っても時間が遅いし、なかなか逢えないから顔を見ると我慢できなくなっちゃって。」
トモくんは照れた様に笑うと、テーブルに届けられた熱々の徳利を取り上げます。
あち・ち・・・と口にしながら、わたくしの杯に注いでくれました。
「もう、まるでわたくしがいけないみたいな言い方ね。」
「そんなんじゃないってば」
あはは・・・明るく笑う顔は、屈託のない彼のものだったのです。
 
「で、こうして差し向かいで飲みたかったからあんなに強引に誘ったの?」
「それだけじゃないけど」
「話があるなら、酔う前に聞くわよ」
一瞬、トモくんの表情が堅くなった、やはりなにかあるのね。
「話はまず食事をしてから。いいでしょう、祥子さん」
「そうね、暖かいうちにいただきましょうか」
彼が自然に話し出せるタイミングになるまで・・・わたくしは待つことにいたしました。
テーブルの上に並べられた湯気の立つおでんに、わたくしたちは揃って箸を伸ばしたのです。

ジューン・ブライド 4

お食事はさすがなお味でした。
江戸風の濃くて甘いまったりとしたおでんは、日本酒にぴったりで、後半はトモくんも熱燗を一緒に楽しんだほどでした。
 一通りお食事の終わったテーブルの上には熱燗のセットと、お漬け物だけが並んでいました。
「祥子さん」
トモくんがいつにない真剣な声でわたくしに呼びかけたのです。
「なぁに?」
ほんのりと目尻が紅く染まるほどに酔ったわたくしは、とうとうお話してくれる気になったのね・・・と思いながら彼を見つめたのです。

「結婚する事になったんだ。」
いまここで、あらためて心を決めたかのような言葉がトモくんの口から出て来たのです。
「あら、おめでとう。良かったわね。」
26歳・・・あと数ヶ月で27歳です。付き合っている恋人がいるなら、<結婚>という話が出るのは時間の問題でしかなかったはずです。
「ありがとう。」
陽気に返したわたくしの言葉に、図に乗ってのろけを口にしないところが・・・トモくんの良いところです。正しく躾けられた、素性のいい素敵な男の子。
「お式はいつなの?」
「6月の予定だよ」
手元で空いたままになっていた杯に日本酒を注ぎました。彼は上の空の体で満たされた日本酒をぐい・・と一息に飲み干したのです。
「そう、ジューン・ブライドね。素敵だわ。幸せになってね。」
わたくしは徳利を手にすると、再び空いた彼の杯に改めてお酒を満たしたのです。
「それじゃ、もう逢う訳にはいかないわね。いままでありがとう。トモくんに出逢えて楽しかったわ。」
奥様のいる男性とお付き合いするつもりは、わたくしはありませんでした。彼が結婚をするというのなら、それは二人の関係の終わりを意味しました。
わたくしたちは、ただのセフレなのです。互いのことを何も知らないほどに・・・
 
「もう逢ってくれないの?祥子さん」
「ええ。新婚さんのご主人とお付き合いする必要なんかないでしょう。」
「そう言うだろうと思ってたよ、でも別れたくない。結婚してもいままでみたいに逢ってほしい。」
トモくんの視線も声も・・・本気でした。
わたくしは当然のように首を横に振ったのです。
20代の前半であろう若くてかわいい新妻から夫を寝取る、不倫相手に成り下がるつもりはまったくありませんでした。
「ごめんなさい。せっかくだけど、もうお付き合いはできないわ。不倫しなくちゃならないほど、相手には不自由していないのよ。」
わたくしは、もう日本酒の杯には手を付けませんでした。
お食事が終わったのを見計らってテーブルに届けられた暖かい日本茶を、ゆっくりとすすったのです。
「いやだ。いままでと、なにも変わらない。祥子さんに淋しい不自由な想いはさせないから、これからも逢ってほしい。」
「だめよ。」
この話はもうおしまい。そんな意味を込めて、わたくしはこの一言を口にしたのです。
トモくんは手元のお酒をぐいっと煽りました。そして、コートと伝票を掴むと・・・わたくしの耳元に囁いたのです。
「出ましょう。祥子さん。」
 



「どうしたの、ねえさん。黙りこくって。」 
鎌倉の紫陽花寺の境内は、植え込みに沿って奥の院の手前まで竹の手すりが渡された回遊路が出来ていました。前日の雨のせいで滑りやすくなった脚元への配慮なのでしょうか・・・。
「いいえ なにも。綺麗ね、ほんとうに。」
わたくしは脳裏の中の雪のちらつく夜のトモくんの横顔を意識の中から振り払いました。

ジューン・ブライド 5

「ならいいけど。ここが、気に入らないのかとおもった。」
大柄な男性は、仕事相手には時にひどく強面に見せる事の出来る、整った迫力のある顔を優しい笑みに和ませながらわたくしを振り返るのです。
「そんなことないわ。好きよ、雨の翌日の紫陽花寺。」
昨晩から今朝方まで、しとしとと降り続いていた雨はわたくし達が北鎌倉の駅につく頃、ようやく上がりました。それでも、空はまだ雲がたれ込めて・・・周囲の空気をまだひんやりとさせていたのです。
「その先にある書院の向こうの菖蒲は、もう終わってしまったかしら」
「へえ、そんな場所があるんだ」
「あら、知らなかったの?」 
豪放磊落に見えて実は丹念な仕事を方なのです。ロケハン先なら当然調べていると思っていたので意外な一言に、わたくしはついからかいの言葉を漏らしてしまったのです。
「知らなかったよ。でも、ねえさんがそう言うくらいだから余程印象的な場所なんだろうね。行ってみてもいい?」
そうおねだりをする顔は、まるで本当に弟以上でした。
「もう。今日はあなたのロケハンにわたくしが付き合っているだけなんだから。気にしないで、あなたの思う通りにまわってちょうだい。わたくしは一緒にいるだけで充分楽しんでいるからいいのよ。」
にっこりと微笑みかけるわたくしに、男性は無言で頷くとまた手元のカメラを進行方向へと向けたのです。
 
今日ご一緒している方は、わたくしが行きつけにしている珈琲専門店のカウンターで知り合った方でした。
いつもカジュアルなスタイルで、1人でふらりといらっしゃる方でした。
時に原稿用紙や絵コンテの台紙を手に普通の会社員の方なら決してお出でにならないような時間に、カウンターに座ってらしたのです。
わたくしも常連でしたから、古株の店員さんを介してその男性とお話するようになるまで、そう長い時間は必要としませんでした。

お名前は森本さんとおっしゃいました。年齢は38歳。映像監督兼プロデューサーをしていると苦笑いしながら自己紹介をしてくださいました。
年下だということと、ファーストネームがわたくしの実の弟と同じだとお知りになった時から、彼はわたくしのことを「ねえさん」と呼ぶようになったのです。
不思議なことに、森本さんとわたくしが持つ雰囲気は、どちらもとても似ていて・・・初対面の方は本当に二人を姉弟だと思われるほどだったのです。
 
1週間前。
「GWからずっと働き詰めだったから、この2日間はのんびりと過ごすことにするわ。」
珍しくわたくしのスケジュールが一日オフになることが解った日、カウンターのいつもの席で、古株の店員さんに何気なくそうお話したのです。
わたくしの隣には、たまたま森本さんがいらっしゃいました。
「ねえさんは、鎌倉は好き?」
「ええ、好きよ」
「それじゃ、その休みの日によかったらロケハンに付き合ってくれないかな?」
「ロケハン?」
「そう。次の作品を組み立てるのに、舞台を鎌倉にしようと思ってるんだ。」
「他のスタッフの方も一緒なのでしょう。お邪魔になっちゃうわ。」
「いいって、僕1人だし。ドライブがてら付き合ってくれませんか?」
唐突なお誘いでした。が、カウンターで時々お逢いする様になって1年。森本さんの性格も、考え方も良くわかっていました。
それに今では、彼と居る時間はとてもリラックスしていられたのです。
休日の一日、大好きな鎌倉を気の置けない男友達と散策する。その魅力的なお誘いにわたくしの気持ちは揺れていました。
「お邪魔じゃないのなら、ご一緒させていただこうかしら。」
「やったね。 詳しい事は任せて。また連絡します。」