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唐紅 1

1週間をまるまる忙殺されたプレゼンテーションがやっと終わったのは、週末の4時を回ったころでした。
ほとんど今朝方までかかって企画書を仕上げたのです。
一睡もしないままでシャワーを浴びて・・・白いシャツと黒のタイトスカートのスーツ、ブラウスから透けないように白のレースのランジェリー、開いたシャツの襟元にパールをあしらった隙のない装いに着替える為だけに、今朝方一度帰宅をしただけでした。
 
緊張を強いられた午後のプレゼンが終わり、いつものようにプレゼンチームのメンバーと共に、いつものようにオフィスに戻れば良かったのかもしれません。
でもその日はまっすぐに帰る気持ちにはどうしてもなれなかったのです。
その場にひとり残ったわたくしは、疲れ切った身体と心をほんの少し癒してから帰ろう・・・そう思っただけでした。
 
クライアントのオフィスは、あの3人の男性と出会ったバーからほんのわずかの場所にありました。
マッカランの25年と並んでバーカウンターにあったポール・ジローのボトルが、わたくしの心をよぎります。
あの時は・・・日付がかわるほどに遅い時間でした。
いまのこの時間なら多忙な彼らと逢うことなんてないでしょう。
たった1杯だけブランデーを楽しむだけ・・・それならきっと大丈夫よ。
バーのスタッフはあのときのことは何もしらないのだから。
心を決めて、夕闇が薄く帳をおろしはじめた時間に、あのバーのドアに手をかけたのです。
 
「こんな早い時間から、よろしいかしら?」
あの夜と違い、カウンターにはショートヘアがキュートな女性のバーテンダーが独り開店の準備をしていました。
「もちろんです、いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」 
小柄な身体をかがめてカウンターをくぐると、わたくしを先日と同じスツールに案内します。
「ありがとう」 
あの夜には見かけなかったスタッフなのに・・・どうして。
ほんの少しのデジャビュを感じながら引かれた椅子に腰掛けます。
きびきびとした動作でカウンターに戻ると、少し熱めのおしぼりを差し出してくれるのです。
「ほっとするわ」 
手のひらに広がる暖かさに先ほどの違和感は溶けてしまいました。
「なににいたしますか?」 
「ポール・ジローをお願い」 
香り高い限定生産のブランデーをオーダーしました。
細身の独特のシルエットのボトルの中には、琥珀の液体がとろりと横たわっていました。
「お客様は美味しいお酒をご存知ですね」 
醸造酒に合うドライフルーツの入った小皿を差し出します。
「そんなことないのよ。ふふふ」 
彼女の趣味の良いサイドディッシュのセレクトに感心したわたくしの目の前に差し出されたのは・・・マムの繊細な泡が踊るシャンパングラスでした。
「これは?」 
また、あのデジャビュが蘇ります。
「お疲れみたいですから、こちらで軽く喉を潤されてはいかがですか」 
ショートヘアの女性バーテンダーはにっこりと微笑むのです。
邪気のないその微笑みを前にして、馥郁たる香りを放つグラスを疲れた心は拒否することができませんでした。
「ありがとう、遠慮なくいただくわ」 
グラスに付けた唇を愛撫するかのように繊細な泡がまといつきます。
ためらいながら一口目を口にしたにも関わらず、瞬く間にはしたなくも白い喉そらして・・・2度、3度とシャンパンを味わってしまいました。
 
カウンタートップにはバカラのブランデーグラスが用意されました。
繊細な彫りの美しいクリスタルグラスが、店内の間接照明をはじいて煌めいていました。
わたくしがシャンパンを飲み干すタイミングに合わせてブランデーの栓が開けられます。
強くはないけれど柔らかな芳香が店内に漂いはじめました。
コッック・・・コッック・・・コッック・・・ 
ボトルから注がれる濃度を持った液体独特の音すらも、新たな欲望を誘うのです。
「おまたせいたしました。ポール・ジローです」 
グラスの中のブランデーの波紋がおさまってから、わたくしの前にグラスを滑らせます。
「ありがとう」 
シャンパンの名残をミネラルウォーターで程よく中和してからでなければ、ブランデーグラスに手を伸ばす気にはなれませんでした。
繊細なのに適度な重さのあるバカラのステアをつまみ、唇に持ってゆきます。
ほんの少し傾けるだけで唇に流れ込む熱い香気が、ポール・ジロー独特の柔らかな存在感を伝えはじめます。
いちじくのドライフルーツをひと齧り・・・ポール・ジローを一口。
 
女性のバーテンダーにありがちな饒舌さは彼女にはありませんでした。
わたくしがブランデーの香気に酔っているうちに少しだけ奥に行き、戻って来た時にはイズニーのカマンベールをカットしたものを手にしていました。
「ウォッシュのいいものがなくて、カマンベールですが。お一つどうぞ」 
口に含むとフランスの草原の香りのするカマンベールは、新たなマリアージュを楽しませてくれるのです。
 
それでも、カウンターに座っていたのはわずかに30分ほどでしょうか。
「ごちそうさま。締めてちょうだい」 
カウンターをくぐった女性バーテンダーはわたくしをレジスターではなく、あの狭くて急な登りの階段を案内するのです。
お会計は?と聞くわたくしに・・・バーテンダーの女性が囁いたのです。
「迎えのお車が待っております」 
「えっ」 
この階段から外に出るしか選択肢がない・・・たった2杯のアルコールに、以前の夜のデジャビュが酔いを重ねます。
「祥子様のお会計はもう承っております。すぐ正面にお車を止めてお待ちです。どうぞいらしてください」 
それ以上の質問を許さない硬質な微笑みを浮かべる彼女に、わたくしは見送られるしかありませんでした。
狭く・急な階段を上がって、わたくしはしばらく躊躇した後・・・諦めてドアに手を掛けました。
力を加える間もなくすっと開いたドアの先にはあの夜の運転手が立っておりました。
「祥子様お待ちしておりました。車へどうぞ」 
礼を失しないようにわたくしに手を添えて車まで導くのです。
「どうぞこちらに」 
セルシオ独特の適度な重みを感じさせるドアの開閉音が響くと、車の中にはあの夜の男性が座っておりました。
 
「ひさしぶりですね。祥子さん」 
あの夜わたくしのアナル・バージンを奪った男性です。
今夜もゼニアのチャコールグレーのスーツを着こなして、リラックスした雰囲気で後部座席におさまっていました。
「どうして・・・」 
どう質問をしていいのかわからないわたくしはその一言を口にするのがやっとでした。
「質問に答える前に。祥子さんの明日の予定は?」 
厳しささえ感じさせる太く硬い男らしい声でした。
「ひさしぶりの休日ですわ」 
どう答えるのが正解なのか・・・わからないままに事実を告げてしまいます。
「よかった。それじゃ予定通り行ってくれ」 
運転手に声を掛けると車は静かに首都高速のランプに向かいました。
 
「どこからお話すればいいでしょうか。あの店は僕の会社の持ち物なんですよ。」 
ほとんど同世代だと思っていた育ちの良い男性が口にしたのは、半分は予想されていた答えでした。
「あなたにもう一度逢いたくてね。万一のチャンスに掛けて店のものに頼んでおいたんです」 
あの朝、ホテルのエクゼクティブフロアの廊下にいるわたくしの写真を差し出すんです。
「こんなものを・・・いつ」 
「ルームサービスに頼んでおいたんですよ。あなたは祥子という名前とオペラピンクのランジェリーしか手がかりを残してくれなかったから」 
たしかにあの日、運転手とエレベーターを待つ間廊下でルームサービスのスタッフとすれ違ったことを思い出しました。
「2度と逢えなくても仕方ない、そう思ってました。でもどうしても諦められなくてね」 
長身なのにそうは見せないバランスの良いスタイルと、声同様に甘さのない顔立ちにふと男の色気が立ち上りました。
 
「彼に伝言を頼んだつもりだったんだが、聞かなかったですか?」 
運転手を目で指し示して男性はそういうのです。
「ええ、確かにうかがいました。でもこんな早いお時間にはご都合はつかないと思っておりましたから」 
「だからほんの30分で立ち去ろうとしたんですね」 
わたくしの言い訳は聞かない、たたみかけるような物言いはそう伝えてきました。
「祥子さんは伝言を聞いていて、またあの店に来て下さった。これからご一緒することになるのもご承知の上でね」 
落ち着いた声に、有無を言わせない自信を滲ませるのです。

そんなつもりはございません・・・そう返事を返すことができませんでした。

唐紅 2

車は湾岸線を抜けレインボーブリッジへ、刻々と都心を離れてゆきます。
「それで、今夜はどちらにご招待してくださるの?」 
これ以上取り乱してもみじめなだけです。わたくしは覚悟を決めました。
「箱根にね、素敵な宿があるのですよ。祥子さんはおつかれのようですから温泉でゆっくり楽しみましょう」 
三ツ沢バイパスを藤沢に向けて車は移動します。
 
「他の方は?」 
すべすべとした手の男性と優しい声の男性の顔を思い浮かべずにはいられませんでした。
「今夜はわたしたちだけです。彼らは仕事を抜けられなくてね、どちらかがお気に入りでしたか?」 
わたくしの横顔を見つめながらからかうようにそういいます。
「いいえ、それではふたりきり・・・ですのね」 
男性の嗜好を知っているわたくしは、今夜の成り行きにわずかにおののきながらもふたりきりの時間ならと、少しほっとしておりました。
「ふたりきり? わたしたちだけと言ったでしょう。今夜は彼にも想いを遂げさせてやってください」 
バックミラー越しに運転手がわたくしに目礼をいたします。
「この方もなんですか・・・」 
あの日も今日も慇懃無礼にわたくしに接しつづける運転手と、関係を持たなくてはならないなんて・・・
 
「彼は優秀な男なんです、いろいろな意味でね。僕の仕事を教えるために運転手をしてもらっているだけなんですよ」 
わたくしの偏見をあざ笑うかのように男性は語りはじめました。
「あの日あなたをお送りしてから、彼は何度もあなたに連絡ととれないのかと僕に聞いてきたんですよ」 
ふふふ 思い出し笑いさえ漏らすのです。
「僕たちだけは祥子さんとの連絡方法を知っているのだと思っていたみたいでね」
「申し訳ございません」 
車が動きだしてからはじめて運転手の声を聞くことができました。
「私がわがままを申したのです。祥子様がどうしてもお嫌だとおっしゃるなら私は控えておりますので」 
誠実で抑制の効いたゼニアのスーツの男性よりも幾分若い声は、とても恐縮して聞こえました。
「こうしてまたお逢い出来ただけで満足です。どうか箱根の夜をゆったりとお楽しみください」 
わたくしは運転手の育ちの良さをうかがわせる物言いに心を動かされていました。
 
車は西湘バイパスを過ぎ湯本へ向かう片側一車線の道を走ります。 
 
「ごめんなさい。そういうことではないのよ」 
時折力の籠るバックミラー越しの視線に、はじめて目を合わせて答えました。
「わかりました。仰るとおりにしましょう」 
運転手の背に微笑みかけるようにして、わたくしは男性に答えました。
「やっぱり祥子さんは思った通りの大人の女性だ。今夜は後悔はさせませんから、楽しみにしてください」 
そう言うと運転手の目があることを承知の上でわたくしの肩を引き寄せるのです。
「お約束のランジェリーもご用意していますからね」 
ストレートのロングヘアに顔を埋めるようにして、わたくしの耳元にこっそりと囁くのです。
後部座席のわたくしたちに対する運転手の強烈な意識を感じて わたくしはグレーのゼニアのスーツの肩を押し戻しました。

 
都心を出てから約2時間。
窓の外の空気は車内の男性たちの熱い思いとは反対に、しんと冷えはじめていました。
湯本から七曲がりへ向かう道を右へ下ったところに、その瀟酒な宿はありました。
贅沢な平屋づくりの建物は、春には花が見事だろうと思わせる桜の樹々の間に、離れのように点在していました。
4組も泊まれば満室になってしまうかのような贅沢なつくりの宿は、いまは紅く色づく紅葉の桜葉に彩られていたのです。

唐紅 3

車が止まったのはフロント機能を持つ本館の前でした。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」 
上品な女将が、ひとりでわたくしたちを迎えてくれます。
「お世話になります」 
「よろしくおねがいいたします」 
「どうぞごゆっくり・・・」
言葉少なに挨拶する男性は上客の常連なのでしょう。
宿泊するというのにハンドバッグ一つのわたくしに不審な目を向けることもなく、微笑みかけてくれるのです。
 
「さ、こちらです」 
女将が案内してくれたのは、渓流の音が聞こえる最も奥まった離れでした。
「今夜はこちら一つでよろしいのですね」 
いつもは運転手用の控えの部屋もお願いするのでしょう。
「ええ、食事もこちらにお願いします」 
男性はそう答えて、座卓の置かれた部屋でジャケットを脱ぎました。
「お預かりいたします。お客様もどうぞ・・・」 
女将に声を掛けられて、わたくしも黒のジャケットの釦を外しました。
「女性の方にこうしていただくのって不思議な感じですね」 
ふふふ、女将がわたくしの背中で華やかな笑い声をたてるのです。
「お客様はおもてになるんですね、きっと」 
そういいながら引き戸になったクローゼットを開けてジャケットを仕舞うのです。
「そうなんですよ、女将。この人はとても魅力的なんでね」 
わたくしに座卓の向かいを指し示しながら、男性までがそのように言うのです。
「あらあら・・・わたくしはお邪魔みたいですね。本当でしたらお部屋をご案内するところですが」 
そういいながら女将は座卓の上の茶器を優雅に扱い、熱いお茶を入れてくださいました。
「こちらさまが十分にご存知ですので、お判りにならないことがございましたらフロントまでお電話くださいませ」 
畳に三つ指を突き深く一礼をすると、女将は衣擦れの音をさせて離れを去ってゆきました。

女将が入れてくださったのは甘みのある八女の玉露でした。
掌の器はほんのり暖かく、とろりとしたお茶は長時間のドライブで乾いていたのどを潤してくれたのです。
そのお部屋は二方が雪見障子になっておりました。
わたくしはライトアップされた庭を見ながら、ワイシャツ姿でくつろぐ男性と差し向かいに座って、まぁるく喉を落ちてゆくお茶の味をゆっくりと楽しんでおりました。
 
今夜の男性は・・・まだ紳士的なままでした。
「ここはね離れが四つありましてね、みんな趣きがちがうんですよ」 
女将が言っていた様に男性はここのことをとても良く知っているようでした。
「こんな佇まいですけれど、洋館もあるのですよ」 
飲み干された器を座卓の上の茶托に置きました。
「祥子さんには洋館が似合うと思ったのですけれど、せっかくの温泉ですからね。和室のここにさせてもらったのですよ」
 
わたくしは部屋に通されてからのことを思い出し、改めて部屋を見回しました。
灰白い漆喰の壁に長年いぶされたのであろう黒々とした柱が、時代を感じさせる造りでありながらモダンな印象を醸し出していました。
高い天井までの空間は繊細な欄間などではなく、きりだしたままのような梁が何本も横切っているのです。
青畳の上にはイサムノグチ氏の間接照明が行灯のように置かれ、白い壁・白い障子が最低限の照明の効果を高るように室内を明るくしていました。
 
「ここは水回りのほかに3部屋あるんです。」 
一方の全面の襖を視線で示して男性はそういいました。
 
玄関の開く音がします。
重いものを置く音がして、運転手が車からいくつかの荷物を下ろしてきたことがわかりました。
すっ・・・・ 別室の襖の開く音がします。
運転手は3間あるうちの一部屋にそれを持ち込むと、しばらくは出てきませんでした。

「珍しいでしょう、屋根は茅葺きなんです」 
闇に溶けるように高い天井を見上げると、そこは男性がいう通りの茅づくりでした。
「離れごとに露天風呂が用意されていますし、こんなつくりでも化粧室は最新式ですから快適です」 
座椅子に寛ぎわずかにネクタイをゆるめます。
「それにこの部屋のお風呂は川に面していますから、川風が気持ちいいですよ」
 
この部屋だけではなく宿そのものを何度か利用したことがある男性との話に夢中になっていたら、いつのまにか運転手が部屋に控えていました。
「こちらにいらっしゃればいいのに」 
運転を続け男性の荷物を運んで、いままで整理していたのでしょう。
 
「今夜は祥子さんは何もなさらなくていいのです」 
せめてお茶の一杯でも・・・と茶器に手を伸ばしたわたくしを男性は制するのです。
「お茶ぐらいよろしいでしょう?」 
わたくしをからかってらっしゃるのかと、向かいに座る男性に問いかけました。
「今夜は祥子さんのことは全て彼がお世話をいたします。彼に任せて、なさりたいことがあれば彼に命じてください」 
真顔で男性は答えるのです。
「運転手さんはあなたの部下かもしれません。でもわたくしの部下ではありませんわ、そんなことできません」 
無体なことを言う上司だこと・・・わたくしはそんな視線を運転手に投げました。
「ふふ 祥子さん。彼の望みなのですから聞いてあげてください、そうだろう?」 
最後の一言はわたくしにではなく運転手に向けたものでした。
「はい 祥子様。はじめて親しくさせていただくので不安もおありかと思いますが、どうか主の言う通りお世話をさせてください。お願いします」 
きちんと居住まいを正したまま肩幅に両手をついて礼をされるのです。
「そんな・・・」 
運転手の真意がわからなくて、わたくしは戸惑うしかありませんでした。
「お嫌ですか?」 
顔を上げた運転手の澄んだ目がわたくしを見つめます。
 
ドライバーズハットをかぶり白い手袋をいつもしていた彼は、主である男性とほとんど変わらない大柄な体格をしておりました。
声は落ち着いて、けして大きくはないのですが通るのです。
ふとしたほんの一言までも、わたくしの中にすとんと落としてゆくような声なのです。
男性とほぼ同じ年令なのだろうと勝手に思い込んでいたのですが、帽子と手袋を外した彼は30代の中程に見えました。
運転手の見つめ返す視線に力がこもります。
「嫌だなんて、そんなことはないです。ただ、そこまでしていただく理由がありませんもの」 
わたくしは、彼から目をそらせずにいました。
「理由は彼が望むからさ。祥子さん 叶えてやってほしい」 
男性にそう言われて・・・ようやくわたくしは こくん と頷きました。
「良かったな」 
「ありがとうございます」 
二人の声が同時にいたしました。
「お願い手を上げてください」 
改めて礼をする運転手に優しく声をかけることしか思いつけませんでした。

唐紅 4

「夕食の準備もそろそろだろう。食事の前にひと風呂浴びてきたらどうですか、祥子さん」 
運転手の彼がいれてくれた二煎目のお茶を口元に運びながら、そうすすめてくださいました。
「ええ、そうさせていただくわ。お先によろしいかしら」 
昨晩からずっとつづいた緊張を見事だという露天風呂でほぐしたくて、バッグを手に立ち上がろうとしました。
「お荷物はこちらに」 
運転手は一息はやくわたくしのバッグを手にすると、部屋のクローゼットの下の棚に置きました。
「ご用意はわたくしどもでさせていただいております。どうぞこちらにいらしてください」 
わたくしの手を取ると、運転手は露天風呂につづく脱衣所へわたくしを導いたのです。
 
「ありがとうございます。あとは自分でいたしますわ」 
わたくしは脱衣所から運転手が立ち去るのを待っておりました。
「お世話をさせてくださるとお約束したはずです」 
彼は立ち去るどころか、その場で黒のジャケットを脱ぎネクタイを外しはじめたのです。
「失礼いたします」 
わたくしの前に跪き左手を取り上げました。
 
「なにをなさるの・・・」 
彼は無言でわたくしの手首のダブルカフスの釦を外すのです。
そして右手も・・・
「やめて・・・おねがい」
お約束です・・・そう呟くと、わたくしの哀願を聞く事もなく、運転手は跪いたままでウエストに手をまわして、スカートのスプリングホックを外しファスナーを引き下ろします。 
タイトスカートはわたくしの身体を滑り落ちて・・・足もとにしなやかな黒の輪を作りました。
立ち上がった彼はわたくしの手を取り、その輪から一歩出るように促すのです。
「どうぞ」
「おねがい・・・自分でするわ」 
着替える姿を男性に見られる恥ずかしさに、声が僅かに震えました。
ましてや入浴まで。そんな・・・ばかな
「祥子様、お約束を違えられるおつもりですか」 
言葉では先ほどの約束の念を押しながら、彼の手はわたくしのブラウスの胸の釦をためらいもなく外してゆくのです。
「祥子様はなにもなさらないでください。そう、両手は自然に下ろしたままで。わたくしに祥子様の身体は全て任せてください」
「おねがい・・・」 
ブラウスをわたくしの肩から落として、先ほどのスカートとともに乱れ箱にきちんと納めるのです。
 
「ほぉっ・・・」 
思わず感嘆ともため息ともつかない声を、運転手が上げたのです。
わたくしは純白の透けるレースのランジェリーと、一連のパールネックレスだけを身につけただけの姿を、運転手の目の前に晒させられてしまいました。
「だめ・・・こんなこと」 
恥じらいから両手は自然と身体を覆い隠す様に前に組み合わされてしまいます。
ベッドルーム以外の場所で男性にこういう姿を見られるなんて。それもわたくしのランジェリー姿を見ても、少しも顔色さえ変えない若い男性に・・・
「失礼いたします」 
わたくしの仕草に、運転手はことさらに感情を押さえた事務的な声をかけました。
想像していたよりも数段繊細な長い指先だけで、スリップの細いストラップを落としてゆきます。
「あん・・・」
はら・・り・・・ 上半身を覆っていたスリップは滑り落ちて、でも豊かな腰にまとわりつくようにとどまりました。

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彼はそのスリップを無視したままわたくしの髪を片側にかきあげ、抱きしめるように腕を回すと背中のホックを外したのです。
「あっ・・・ぃゃ・・・」 
小さなあらがいの声を上げ、思わず左手でブラジャーを押えてしまいました。
Gカップのバストはそのボリュームで、覆っていた繊細なレースカップを押し上げ・・・自然にストラップを肩から浮かせるのです。
「外します」 
彼はストラップを両手で引き下ろし、やさしくわたくしの左手をわずかにずらして、純白のブラをとりあげました。
「みない・・・で・・・・」 
たゆ・・ぅ・・ん レースに押し込められていた乳房は、その大きさにふさわしい重量感で揺れ動きました。
男性の手で着替えをさせられる。
想像だにしなかったシチュエーションにわたくしの乳房は熱を帯び、先端はわずかに立ち上がりはじめていました。
「あん・・・」 
はしたない身体の反応を隠したくて、左手で先ほどよりもつよく乳房を押え、隠したのです。 
運転手はわたくしの恥じらいの仕草を責めたり、止めたりはいたしませんでした。
同時に一枚一枚薄物を剥がれてゆく姿を言葉にして羞恥を刺激するようなことや、はしたなさで敏感になっている身体に触れて疼き始めているわたくしの性感を高めようとももいたしません。
ただ・・ただ、熱い視線をわたくしの肌とランジェリーに這わせながら<お世話をする>という言葉に相応しく、献身的に立ち働くだけなのです。
先ほど思わずあげてしまった感嘆の一声さえ,恥じているようでした.
運転手の左手にブラジャーをカップ1つ分の大きさにたたみ込むと、今度はわたくしの前に正座をしたのです。
目の前のスリップを両手で引き下ろし、ストッキングに包まれた足首を掴むと片脚ずつ抜いてゆきます。  
わたくしの上半身を覆っていた薄ものを膝の左側にまとめて置きました。
 
「どうぞ私の肩に手を付いて、足はこちらに」 
そういうとおもむろに左足を正座した彼のふとももの上に乗せるのです。
バランスを崩しそうになって、あわてて右手で彼の肩を掴んでしまいました。
「あぶない 大丈夫ですか?」 
左手で胸を覆い隠したままのわたくしを責めることなく・・・他のランジェリーとセットになっているガーターベルトの留め具をはずすのです。
正面・・・そして側面・・・ 
ふっとゆるんだストッキングをするすると長い指で下ろしてゆきます。
「失礼いたします」 
足首を軽く掴んで浮かせるとつま先ストッキングをつまみあげ、すっと足先から抜いてゆきます。
「お寒くはないですか」 
緊張と羞恥で気がつきませんでしたが・・・単なる脱衣所に違いないのに程よく部屋はあたたまっていました。 
裸足になった左足が床面のあたたかさをダイレクトに伝えます。 
「だいじょう・・ぶ・・です・・・」 
床下に温泉を引き入れた床暖房。彼が荷物を取りに戻ってすぐに準備してくれていたのです。
彼の心遣いの濃やかさにわたくしは感謝をしておりました。
 
「おねがい。もう 自分でできます」 
いまの彼の瞳にうつるわたくし・・・男性の膝に足をかけるあまりにはしたない姿・・・に気づいて 恥ずかしさのあまり彼の指がストッキングにからまったままの足を不意に引いてしまいました。
「っつ・・・」 
わたくしはバランスを崩して両手で彼の広い肩につかまるしかありません。
「お気をつけください。祥子様」 
運転手の右手はまだストッキングにとらわれたままなのに、左腕はわたくしの腰を支えてくれていました。
が、両手で肩につかまったわたくしの上半身は・・・彼の顔の前にGカップの白い乳房をそのまま晒してしまいました。
「あっ・・・いや」 
自らの腕で堅く立ち上がってしまっている鴇色の先端を隠すために、わたくしは右足をまた彼の膝に乗せるしかありません。
「ごめんなさい。ありがとう」 
わたくしが体勢を立て直したのを預けられた重心の移動で確認したように、彼は左手をふくらはぎのストッキングに戻しました。
「いえ 謝らなければならないのは私のほうです。祥子様のストッキングを伝線させてしまいました」 
右足を床に下ろし伝線したストッキングまできちんとたたむのです。
「替えのものは何色かご用意していますのでご安心ください」 
ガーターのバック・フックを外すと、Tバックから留め具を上手に抜いてストッキング・ランジェリーとともに乱れ箱に仕舞いにゆきます。

唐紅 5

次に彼が持ってきたのは大判のバスタオルでした。
わたくしの胸を一巻きし左胸の上に端をはさみこむのです。
「ん・・・」
少し冷えてきたわたくしの素肌に彼の手はとても熱く思えました。
正直にいえば・・・彼の目の前でなににも遮られずに全てを晒されるのではないとわかって、ほっとしておりました。
だからといってこれで許されたわけではなかったようです。
「あん・・・いや・・・」  
三度跪くとタオルの下に熱い手を差し入れ、わたくしの身体を覆っていた最後のレース取り去ったのです。
「だめです。おねがい・・・触れないで」 
わたくしの足先から抜かれたTバックをなんとか奪い返そうとしました。
なぜなら・・・彼に手首の釦を外されたときから、わたくしは自らの身体から溢れ出すものを止められなかったから。
「返して・・・」 
わたくしが差し出す手を無言で、でもやさしく払いのけて、はしたなく濡れそぼっているに違いないレースの布を彼はやはり丁寧にたたむと乱れ箱におさめます。
あまりの恥ずかしさにわたくしは彼のほうを見やることさえできませんでした。
  
「どうぞこちらへ」 
壁際にしつらえられた化粧台の椅子を引きわたくしを座らせます。
籐で編まれ天板に硝子を使用した化粧台には大きな鏡がありました。
座るまで気がつかなかったのは・・・ずっと化粧台に背を向けたままで彼に脱がされていたからだわ。
「あっ・・・」 
そのときはじめて、彼の視線が宙をさまようように動いていたことを思い出したのです。 
彼はずっとわたくしの正面にいました。
白く滑らかな背と、バストと同じだけのふくらみを持つ腰を・・・わたくしの視線の届かない姿だけは彼には見られていないとずっと安心していたのです。
彼がわたくしの背にあったこの大きな鏡で・・・転びそうになってかがんだときの腰まで見ていたのだとわかって、わたくしはもう・・・鏡ごしにさえ彼の目をみることができなくなりました。
 
「ひどい・・・ひと・・・」 
使い込まれた柘植の櫛でストレートロングの黒髪を梳られながら、わたくしは思わずつぶやいてしまいました。
「櫛のあたりが痛かったですか。祥子様」 
聞こえていたはずなのに・・・わたくしの言葉を無視して髪を後で1つにまとめようとしています。
何も答えないのを大丈夫だと解釈したのでしょう。
左手で根元を握った髪を右手でくるくると巻くと、赤い珠のかんざしを使って器用にアップに結い上げてしまいました。
「・・・すごい 上手なのね」 
髪の一筋もつることなく見事に夜会巻きに結い上げられた髪は、わたくしの恥じらいが生んだ怒りをわずかの間に溶かしてしまったのです。
「ありがとうございます。後ほど髪を洗わせていただいたらもう一度結わせていただきます」
そして・・・無防備になった首筋からパールのネックレスをはずすと、櫛とともに置かれていた白の綾絹の袋にしまいました。
 
「このままおまち下さい」 
全てをおさめた乱れ箱を、彼はやはりわたくしが気づかなかったドアの向こうに持ってゆきました。
「お待たせしました」 
戻ってきた彼はタオル一枚だけを腰にまいていました。
適度に陽に灼けた肌とトレーニングで鍛えられているのであろうしなやかな筋肉が、運転手の身体をおおっていました。
車を運転するだけの人・・・そのひ弱な印象は素の彼には全くなかったのです。
 
脱衣所の川音の聞こえる側には1枚だけの扉がありました。
彼が先に立ってゆっくりと戸を引きあけると、そこは露天風呂だったのです。
 
侵入者とその視線を拒むように槙の垣根に守られた一画は、正面の紅葉の山肌を絵画のように一層引き立てていました。
きっと離れの屋根からのライトアップもあったのでしょう。
美しく色づいた葉の一枚一枚が照り映えておりました。
「きれい・・・」 
わたくしは踏み石の上で、次の一歩を踏み出すのを忘れてしまったかのように見惚れてしまいました。
「祥子様 お気をつけて」 
先に下りた運転手は手を差し出すようにして、わたくしを踏み石から板敷きの床に下ろします。 
ほのかに檜の香りがいたしました。
踏み石のすぐ右手には掛け湯用の小さな湯船があったのです。
屋敷に続く左手は途中に1枚の戸を置いた濡れ縁になっておりました。
「失礼いたします」 
運転手の声に視線を彼に戻すのと、彼の指が左胸の上のタオルの端をはずすのが同時でした。
「いやっ・・・」 
はらりと落ちかかるタオルを両手で押さえると、わたくしはくるりと彼に背を向けてしまいました。
 
「祥子様・・・」 
運転手は背中からわたくしを抱きしめたのです。バスタオルを押さえるために身体に回したわたくしの腕ごと・・・すっぽりと。 
思わぬことにわたくしは身体を堅くしてしまいました。
 
「祥子様はそんなに私をお嫌いなのですか?」 
耳元に囁きかけるように彼は言います。
「はじめてお逢いしたときのことで、わたくしに不信感をお持ちなのですか?」 
声も出せず小さく首を横に振るしかありません。
「私が主の運転手をしているからですか?」 
ちがうの・・・その気持を込めて首を振ります。
 
「祥子様。私は祥子様のお世話をさせていただくだけで、もうこんなになっているのです」 
強く押し付けられた彼の腰には熱く脈打つ大きな塊がありました。 
それだけではなく、背中には少し早くなった彼の鼓動まで伝わってきたのです。
 
「主から幾度となく祥子様のことはうかがいました」 
一言づつ区切る様に、川音に消されない程度の優しく小さい声を耳元に直接届けるのです。
「祥子様が最後まで決してご自分からお求めにならないほど慎み深い方だと、主は感心しておりました」
「身体がどんなに求めても、快感に飲み込まれてしまわない精神性を持たれた女性だと何度聞かされたことか」
「ぃゃ・・・」 
あの夜のことを、男性達がそんな会話として交わしていたのかを聞かされて、抱きすくめられた身体はますます火照ってゆくのです。
「はじめてお迎えに上がった時から素敵な方だと思っておりました。でも、直に言葉を交わさせていただいて、主の話を聞いて・・・ますます想いは募ったのです」 
彼の言葉を裏付けるように塊は熱さを増し、ひくひくと動きつづけていました。
 
「祥子様が慎みのある淑女であることは存じております。このように男性に身を晒すことにどれほどの羞恥を感じでいらっしゃるのかも良くわかっております」 
「だったら・・・」
「どれほど私に身を任せてどんなお姿をなさっても、祥子様がそのことを喜ぶような恥知らずで淫らなだけの女性なのではないと重々わかっております」
彼の言葉に込められた想いがあたたかくわたくしを包み込むのです。
「どうか 日頃お仕事で男性の方達をかしづかせている時と同じように、私のお世話をお受けください」 
抱きしめる腕に・・・また、わずかに力が込められます。
「祥子様がほんとうにお嫌だとおっしゃることはいたしません。その時はどうぞ『嫌』とおっしゃってください」
「でも私をお嫌いでなければ、どうかお約束のとおりお任せくださいませんか。祥子様を想い続けている私のために、お願いいたします」 
ようやく・・・わたくしは身体から力を抜き首をたてに振ったのです。
「ありがとうございます」 
肩先に軽く唇をつけてからわたくしを離すと、ゆっくりと彼のほうにに向けました。