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銀幕の向こう側 11

「良くやったね。」
男性はカーペットの上に座り込んでしまったわたくしの手から、指を一本一本引きはがす様にして・・・房鞭を取り上げたのです。
男性の手を縛めていたシルクのスカーフは、痛みを堪えようともがく腕の力で既に緩んでいたようです。
力つき、涙で貼り付いたわたくしの髪を頬からはがすと、男性の手は優しく頭を撫でてくださいました。
精も根も尽き果てたわたくしは、男性の立てた膝に甘える様に頭を持たせかけてぼうっ・・・としていたのです。

「君は綺麗だね。こんなになるまで哀しみを溜め込んでいるのに、恨み言一つ零しはしない。」
男性の指がわたくしの頬を拭います。
「こういう時、女性ほど目の前にもう居はしない男を罵倒しながら鞭打つものだ。それだけ怒りと哀しみを露にしたほうが気が済むんだろう。身も世もなく大声を上げて泣き叫ぶように、ね。」
この方は、いったいどこでそんな光景を目にしてらっしゃったのでしょう。
「なのに君は一言もそんなことを口にしない。黙ったまま、押し殺したままで君が鞭を振るう姿は、凄絶なまでに綺麗だったよ。」
「ぁぁっ・・・」
わたくしは男性の胸へと頽れてゆきました。
何も言わず、男性は抱きしめてくださったのです。
わたくしの嗚咽が止まるまで・・・優しく・・・抱きしめて・・・。
助け起こして下さるとわたくしを男性のベッドの上に横たえたのです。

「いいこだ。君は極上のMだね。」
男性の唇はそう左の耳元で囁くと、わたくしの頬の涙の跡を舐めとっていったのです。
「鞭を振るいながら、鞭打たれる痛みをその身体に感じている。こうして泣き出すほどに、ね。」
再び、耳元で呪文のような言葉を口にしながら、わたくしの耳朶を甘噛みしたのです。
「・・・ぁっぅん」
惚けていたわたくしの中に、甘やかな痛みが流れ込んできたのです。
「ただ、打たれるだけじゃない。打たれているという行為をきちんと頭脳で理解していないと、あんなに早く鞭を使いこなせはしない。こんなに、見事なMを手放すなんて私には全く考えられないことだよ。」
「ゃぁ・・・ん」
男性の左手は、わたくしの堅く立ち上がった乳房の先端を着衣の上からいらっていたのです。
「いずれ、あの男は取り返しのつかない後悔に苛まれることになる。君が何をしなくても。だから、もう哀しむんじゃないよ。いいね。」
「はぁぁ・・・ぁい」
ロングヘアをかきあげて、巻貝のような耳介の内部にまで舌を這わせてゆくのです。男性の左手と口唇の動きだけで・・・わたくしはぴくんと身体を反らせてしまいます。
「いいこだ。感度も良好だね。こんな、極上のMだとは思ってなかった。どうしても君を味わってみたくなったよ。」
室内に流れるシャンソンを消す事がないほどの微かな囁きを、男性はわたくしの左耳に送り込むのです。
「私は無理強いはしたくない。君が嫌ならこれ以上はしない。君は、どうしたい?」
今日初めてお逢いした時に聞いたのと同じ、男性の柔らかくて丸い良く通る声は・・・わたくしの身体の芯まで響いたのです。
「おねがい・・・忘れさせてください。」
男性の唇に・・・わたくしは自分から口づけていったのです。

銀幕の向こう側 10

「鞭の動きを制御するのは君にはまだ無理だろう。気にしなくていいから背中を打つんだ、さぁ」
わたくしは打たれた事はあっても、鞭を振るうのは初めてでした。
当然のことですが、鞭の扱いには慣れておりません。
わたくしの反応に合わせて、長谷川さんや高梨さんが縦横に振るったような鞭遣いは、まだとても無理でした。
なのに・・・生意気にもコントロール出来ると思い失敗した恥ずかしさから、反射的に・思い切り次の鞭を振り下ろしたのです。

パシィ・・  うっ 
八条の革が一所に寄り、男性の背中のカーブに沿って肌を隙間なく舐める様に貼り付いてゆきました。革の見せる美しい軌跡はわたくしの目を奪い、男性に与えた衝撃も痛みも忘れさせたのです。
はじめての官能的なまでの手応えに、わたくしは立て続けに房鞭を振るいました。
パシィ・・・ くっ
パシ・・・・ ん んっ
パン・・・・
パシィ・・・ ぅうっ
パシ・・・・ っ

コントロールの利かないわたくしの鞭は、同じところを執拗に何度も打ちのめしていたにも関わらず、男性は声を抑えてらっしゃいました。
括った両腕をカーテンレールを掴む様に上げ、立っている姿勢も微動だにいたしません。
「もう、終わりか・・」 
パシ・・・・ うっ 
挑発のような男性の言葉が終わる前に、わたくしは次の鞭を繰り出しました。
初めてとは言え、立て続けの打擲はわたくしに効果的な鞭の操作を教えてくれていたのです。
パン・・・・ くっ
パシィ・・・ ん
パシ・・・・ ぅっ
パシィッ・・ っ

「ありがとうございます。もう・・・」
連続して10回以上にも及んだ鞭打ちに、わたくしは両肩を喘がせておりました。この行為が、これほどに体力を要するものだとは思ってもおりませんでした。
いままでわたくしを打たれた方達はいつもクールに打たれ、そしてその後には熱い身体を重ねていらしたのに。
それとも・・・この喘ぎはわたくしが女性だから・・なのでしょうか。
「もっと! 遠慮しなくていいんだよ。」
「いえ、もう」
「だめだ。あと最低でも5回、全身の力を込めて打ちなさい。」
男性は姿勢を崩すことなく、わたくしを振り向いてそうおっしゃったのです。
「だって、あなたのお背中・・・」
「いいんだ。まだ君は立っている。そんな風に理性が勝っている状態じゃ意味がない。さぁ、打つんだ!」

パァン・・・・ んっ
わたくしは再び鞭を振り上げたのです。
パシッ・・・・ はっ 
パシ・・・・・ ぅっ
「もっと!!」 枯れたと思っていた涙が再び溢れ出しました。
パン・・・・・ くっ
パシィ・・・・ ん
パァン・・・・ んぅ 
パシィ・・・・ ぁ
「まだ だ!!」 わたくしの頬に・・振り乱した髪が貼り付きます。
パシ・・・・・ んぁ
パシィッ・・・ あ・・っ

「あぁぁっ・・・・もう、ゆるしてっ」
全身を使って男性の赤い背中に振り下ろした最後の鞭と同時に、わたくしは膝を折ってしまいました。ベッド脇に右手に革の房鞭を握ったまま、はぁはぁと息も荒く座り込んでしまったのです。

銀幕の向こう側 9

「おいで。」
わたくしは、答えることも出来ないでおりました。
上半身をむき出しにした男性を見ることも、でも視線を落として膝の上の房鞭を見ることもできずに・・・視線を窓外の夜景へと不自然に彷徨わせていたのです。
でもその視界には、ガラスに映る室内の様子が・・・容赦なく入り込んでおりましたが・・・。

男性は動かないわたくしの眼鏡をやさしく取り上げ、ワインクーラーの隣に置きました。そして、無言で膝の上の鞭を一旦ソファーに下ろすと、シルクのスカーフを手にわたくしを立たせたのです。
男性は窓枠に腰を下ろすと、両手を頭の上に組んだのです。
「そのスカーフで私の手を縛ってくれ。しっかりと、抜けないように。」
こくりと頷くと、わたくしは手の中のオレンジのシルクスカーフを取り上げました。綺麗にたたみ、厚みを出して・・・縛った痕が男性の腕に残らない様にしてから、男性にしてはすんなりと細いその両腕を括ったのです。
 
わたくしは・・・そう、いまではなんの抵抗もなく・・・男性の誘いを受け入れていたのです。何かが、欲しかったのです。わたくしの中にわだかまっているものを、壊し・無にするだけの・・・何かを。
目の前の男性の嗜好のことは、わかりませんでした。ただ、両腕の自由をわたくしに奪わせ、わたくしに向かって無防備な白い背中を差し出してくれているのです。
いままで一度も経験した事のないサディスティックな衝動が、わたくしを覆ってゆきました。
壁際のソファーに置かれた房鞭を・・・手にしたのです。
 
パァシィ・・ はじめてわたくしがベッドに向かって振り下ろした鞭は、情けない音しか立てませんでした。
「もっと、腕全体を使って振り下ろすんだ。」
わたくしに背を向けていた男性は、一度も振り返りはしないのに的確な指示を下さるのです。
彼の目は、お台場の夜景を臨む窓ガラスに映り込んだわたくしの姿を見ていました。
パァァン・・ 二打目は、ほんの少しだけ重い音に変わりました。
「そうだ。さぁいつまでもベッドを打っていてもしかたがない。そこに立って私を打ってごらん。さぁ!」
わたくしは、少し離れすぎているのではないかと思いましたが、男性の指示した場所から黒くしなやかな房鞭を男性の背中に打ち下ろしたのです。
パァシッ・・・ うっ 鞭の音と男性のうめき声が、シャンソンの流れる室内に同時に響きました。
「もっと、力を込めるんだ。」
大きく振りかぶった腕を、真っすぐに打ち下ろします。
パァン・・・ んくっ 男性の白い背が撓ります。
「そう、もっとスピードをつけて。」
わたくしは引き上げた腕を、一気に振り下ろしました。
パン・・・ あぅっ 背中に赤い痕が走ります。

「大丈夫ですか?」
「それでいいんだ。さぁ、続けて」
男性に走りよろうとしたわたくしを制すると、そのまま先を促します。
わたくしはもう一度、鞭を振るったのです。
パン・・・ っく 男性の噛み殺した呻きがシャンソンに紛れる事なくわたくしの耳に届きます。
先ほどと同じところにもう一筋の赤い痕が重なりました。
「上手だよ。もう一度」
同じ場所を何度も打たれた後の痛みのことを・・・わたくしはとても良くわかっておりました。だから、少しでも衝撃を分散させたいと思ったのです。
パァゥン・・・ 
コントロールを誤ったわたくしの鞭は、男性のスラックスに包まれた腰に当たってしまいました。

銀幕の向こう側 8

「そんな風に綺麗に泣けるのは、哀しいね。」
ボトルの最後に残ったワインをご自分のグラスに注いで、目の前の男性はぽつりとそう呟きました。
「最初、君が泣いているなんて全く気付かなかった。映画に夢中になっていたせいもあってね。」
男性が水滴のついたチェイサーのグラスを取り上げます。きっとワインで奢った口を潤すためでしょう。それほどまでに、今夜の白ワインには独特のコクがありました。
「でも、母親が息子の元を去るシーンで私の視界にはいった君の視線がね、まっすぐ画面を見ている人のものじゃないことに気付いてしまったんだ。それで気になって見つめていたら、君はいまと同じ様に、綺麗なままで泣いていた。」
その手の中のグラスをテーブルに戻す事なく、男性は話を続けました。
「はらはらと・・・花が散る様に落ちる涙を、私ははじめて見るような気がする。声も無く、でも涙が止まらないなんて、この女性はどれだけ哀しみを抑え込んでいたのだろうと思うと眼を離せなくなった。」
自分でも説明のつかない気持ちを、目の前の初対面の男性が次々に言葉に変換してゆくのです。
そのことに、わたくしは戸惑いと安らぎを感じはじめていました。
「もっと若かったなら、もっと愚かだったなら、君はこんなに哀しまずに済んだだろう。取り乱し・相手の女性を・裏切った男性を罵倒して、今頃はもう遥か過去のことのように今夜の出来事にも対処できていたと思うよ。」
はらり・・・ その言葉にわたくしの眦からはまた涙が溢れ出したのです。
 
「今夜の映画の若いヒロインのように、私を打ってみないか?」
「えっ」
チェイサーのグラスを置いた男性の突然の申し出を、わたくしは思わず聞き返してしまいました。
「憶えてないか? 息子のために母親が置いて行った若い恋人。その彼女は息子に乞われるままに、彼の母親に教えられたサディスティックな行為を幼なじみの給仕の男の子に加えるシーンだ。」
憶えていました。華奢で聡明そうな金髪の女性が、去って行った母親の正体を知ろうとする愛しはじめた男性の要求に応えて、幼なじみを拘束し・・・二つ折りにした革ベルトで打ち据えるシーンのことです。
「もう、時間を逆行させることはできない。後悔も君には似合わない。だから、今夜ここで哀しみを全て吐出してゆきなさい。」

ソファーから立ち上がった男性は、ベッドの上に置いた彼のバッグから黒革の房鞭とシルクのスカーフを取り出したのです。
「打ち方は知っているね。自分で打ったことはなくても、打たれたことはあるはずだ。」
房鞭を、男性はわたくしの膝の上に置いたのです。
「今日の映画を見ている君の表情でわかったよ。ノーマルな通り一遍の行為しかしらない人間にはあの映画は過激すぎるし、本当の意味も解りはしない。」
ブラウンのストライプが走るシャツのカフスの釦を男性は外しはじめたのです。
「涙を流しながら、スクリーンを見つめる君の表情と、先ほどまでの話で私は確信した。君は、こちらの世界の住人だ。」
シャツの第二釦に手が掛かりました。わたくしをみつめたまま、男性は順に釦を外してゆきます。開いた胸元からは、滑らかな・・・男の肌が現れました。
「気が済むまで、私を打ってごらん。さぁ」
シャツを座ってらしたソファーの上に置かれると、男性はそれを窓際の少し離れた場所へと押しやりました。
続いて、飲み物とわずかに残ったお食事の乗ったテーブルも。
東京湾の夜景を切り取ったような大きな窓の前には、わたくしの膝にある鞭を振るうための広い空間が確保されてゆきました。

銀幕の向こう側 7

「これはハモン・イベリコのようですね。独特の香りがする。」
互いに2杯目のワインを楽しみながら、生ハムをゆっくりと味わった男性はそうおっしゃいました。
「一緒に頂くと味わい深くなりますね。」
男性の眼を見つめて、彼と同じものを口にしてみました。
映画のお話は、興味深く楽しかったのですが・・・同時に、わたくしの目の前に寄り添っていたあの方と奥様の残像をフラッシュバックさせていたからです。
瞬間的に襲っては消える心の痛みから逃れたくて、男性の映画論をワインへと意識的に逸らそうと試みました。
「ワインのセレクトはあなたが?」
「いえ、ソムリエに任せました。白で、この料理に合うものをって言ってね。フランスの白だそうですよ。」
なるほど、たしかにこのしっかりしたボディはフランスワインならではの特徴かもしれません。
「気に入ってくれましたか?」
「はい。こんなにしっかりした白は久しぶりです。」
「よかった。私もワインは好きですが、もっぱら赤なのでね、白には疎いんです。」
「でしたら・・・そう言って下さったら赤でもお付き合いしましたのに。」

男性でワインをお食事と一緒にではなくこんな風に楽しまれる方を、わたくしはあまり多く知りません。好きなお酒を聞かれた時、てっきりこの方はウイスキーかスピリッツでも召し上がるものだと思っていたのです。
「君が白ワインを選んだのには訳があるのだろう。今夜は君のために過ごすと決めているからね、構わないよ。こうでもなければ白ワインをじっくり楽しむこともなかったろうから、いい機会だよ。」
笑って2杯目のグラスを干されるのです。
わたくしはシルバーのワインクーラーに手を伸ばして、男性にワインをお注ぎしようとしました。
「大丈夫だよ。ゆっくり飲んでいてください。」
男性は、わたくしを制して立ち上がるとナフキンを取り上げます。先ほどと同じに優雅な仕草でご自分と、わたくしのグラスにワインを注ぎます。
 
「今夜の訳を聞いてあげた方がいいのかな。それともこのまま関係のない話をして気を紛らわせるほうがいい?」
ソファに腰を下ろされるなり、わたくしの眼をみてそうおっしゃったのです。
わたくしは、すぐには答える事ができませんでした。
目の前の満たされたグラスを手に・・・ワインを頂くのには無作法なことなのですが・・・一気にグラスの中身を飲み干したのです。
このまま過ごしても、あのフラッシュバックはこれから先わたくしを苛み続けることでしょう。それなら、この男性が聞いてくださるなら・・・いま解決してしまうほうがきっといい・・・そう思えたのです。
「聞いていただけますか?」
テーブルに戻したグラスに4杯目のワインが注がれる時には、わたくしはもう心を決めていました。
 
以前愛して・裏切られた男性が偶然にあの映画館にいらしたこと。
隣に座ってらした女性は恐らくわたくしを捨てて結婚された奥様であること。
その方と出逢ったいきさつと、その方をどんな風に愛していたかということ。
その方にどんな風に愛されたかということも。

わたくしは、時にグラスを口元に運びながら淡々とお話を続けました。
もう枯れてしまったと思った涙が、また溢れ出し・・・ひとすじ・ふたすじ・・・頬をつたいました。
それでも涙を拭う事なく話し続けるわたくしに、男性は軽く相づちを打っては先を促してくださったのです。

銀幕の向こう側 6

気持ちが落ち着いたことで、わたくしは生理的欲求にとらわれました。
映画を見はじめてからもう3時間以上・・・化粧室へはいってなかったのですから。
お酒をいただきはじめてから席を立つ事がないように、わたくしは用を足していくことにしたのです。
ゃぁっ・・・ 黒のレースに縁取られた藤色のサテンのTバックは、クロッチが・・・濡れた様に色が変わっていたのです。
誰に見られている訳でもないのに・・・わたくしは真っ赤になってしまいました。手近のペーパーでそのぬめりを帯びた部分を一生懸命に拭おうとしたのです。
こんな風になる心当たりは・・・一つしかありません。わたくしがかつて愛した方の姿を見たせいです。
あれほどに手痛い裏切りを受けても、この身体はまだあの方を愛している。
そう思った途端に新たな悲しみが押し寄せてきたのです。

ピンポン・・・ わたくしの涙を止めたのは、ドア越しに聞こえたルームサービスの押すドアホンの音でした。
ビデを使い、わたくしの身体に残っていたはしたない痕跡を洗い流してから部屋へと戻ったのです。

「私も白ワインを飲むことにしました。」
窓際の一人掛けソファーに座った男性は、ルームサービスのスタッフが抜栓するのを待っていらっしゃるところでした。
「お待たせして申し訳ありません。」
向かい合わせのソファーに座ります。
二人の間のテーブルの上には、生ハム・チーズ・オリーブにドライフルーツが程よく盛り合わせられたオードブルプレートが用意されていました。
「テイスティングはいかがしましょう。」
「私がしよう。」
男性がグラスを眼顔で示します。
コッック・・コッック・・・ ほのかに黄色味を帯びた美しい液体がほんの少しだけ注がれます。迷いなくステムを持つと、男性は唇から舌に・・・ゆっくりとワインを流し込みました。
「おいしいよ。ありがとう。」
男性のその声に一礼すると、スタッフはわたくしに・・・そして男性のグラスにもワインを満たすと、シルバーのアイスペールにボトルを入れナフキンで覆いました。
「サインをお願いします。」
すらすらと慣れた様子で男性はサインをします。
「召し上がられたものはこのままになさっておいてください。」
「ありがとう。」「遅くに申し訳ありません。」
改めて礼をして出てゆくスタッフの後ろ姿を、ソファーに座ったままで見送ったのです。 

「それじゃ、改めて。はじめまして。」
「ふふふ、そうでしたね。」
わたくしたちは軽くワイングラスを合わせました。
「泣くとお腹が空くでしょう。」
「ええ、そうですね。」
泣き顔を誰かにみられてしまった恥ずかしさと決まりの悪さを、前面にだしてもしかたないでしょう。
わたくしはさらりと受け流して、男性が優しく差し出したナフキンを手に取りました。
「遠慮なくいただきますわ。」
取り分けてくださったお皿を頂戴し、ナチュラルなままのオリーブを口にします。滋味のあるまぁるく柔らかい塩味が・・・さきほどまでのわたくしの涙の味のようでした。

二人の会話は、テーブルの上のお料理とワインと・・・映画の感想の間を行き来していました。
ことに、この男性のジョルジュ・バタイユに対する見識の深さは見事なものでした。加えてご一緒に見た映画の監督が手がけられた別の作品・・・についての様々なことも、興味深く耳を傾けるに値するものだったことに、軽い驚きさえ憶えたのです。

わたくしはさしてフランス映画に造詣が深い訳ではなかったので、登場人物が身に纏っていたドレスのお話をさせていただきました。
バレンシアガ・・・ディオール。
綺羅星のごときメゾンが作り出す・・・ぎりぎりまで肌を露出し・覆い隠す・・・セクシュアルな夜の服のお話は、男性の男性の興味を惹いた様でした。
「あの服ってランジェリーは着けないものなの?」
そんな、日本の男性ならではの質問にお答えするのも楽しかったのです。

銀幕の向こう側 5

男性は無言のままにわたくしを先にケージから下ろすと、すたすたと廊下を歩いていかれます。
エレベーターホールを出て左に・・・まっすぐ進んで彼が立ち止まったのは1903と書かれた扉の前でした。
「どうぞ」
男性は何のためらいもなく手の中のカードキーをスリットに差し入れると、開いたドアを押えてわたくしを先に室内へ入れてくださったのです。

「きれいね。」
落とされたままの室内の照明の中で、窓を額縁にレースのカーテン越しに東京湾の夜景が一望できました。
青海の観覧車、レインボウブリッジ、晴美埠頭・・・。
わたくしはバッグを手にしたまま窓際に歩み寄っていたのです。
「間に合ったね。」
落ち着いた声で言うと、ひと呼吸置いてから男性はドア近くのルームライトのスイッチをONしたのです。
「たしか終電を過ぎると観覧車は照明を落とすらしいから、この景色を見てもらえてよかったです。」
年甲斐もなくはしゃいでしまったわたくしを諌めるでもなく、男性は手に持ったバッグを窓よりのベッドの上に置くとクローゼットの足許に用意されていたルームシューズに履き替えにいらしてました。

「お酒は何がいいですか? ルームサービスが来る間に良かったらシャワーを浴びてきてもいいですよ。」
バスルーム側のベッドにバッグを置いたわたくしに、ルームサービスのメニューを差し出します。
今夜は・・・酷く酔ってしまいたい気持ちと、悪酔いするわけにいかないと思う気持ちがせめぎあっておりました。
ただひとつだけ、お別れしたあの方と一緒にいただいたことのあるお酒だけは・・・見ることさえ辛かったのです。カクテルとバーボンの欄を無視して・・・。
「あれば、グラスかハーフボトルで白ワインをいただけますか。流石に、フルボトルいただく元気はなくて。それとチェイサーを。」
「わかりました。おつまみに好き嫌いはある?食事は?」
「いいえ、お任せします。お夕食は軽く済ませております。お気遣いありがとうございます。」
「それじゃ、オーダーしておくからシャワーでも浴びてらっしゃい。」
「いえ、シャワーまではまだ。ただ、顔を・・・。」
わたくしは藤色のニットジャケットをハンガーに掛けると、バッグの中から小さなポーチだけを取り出してバスルームに向かったのです。

男性が選んでくださったのでしょう。
いつのまにかシャンソンのBGMが流れておりました。バスルームにもスピーカーが仕掛けられているようです。
エコーの効く広い空間に、心地よい音量で女性シンガーの柔らかなフランス語が聞こえてきました。
先ほどまで見ていた映画のヒロインが、息子に禁断の愛を語りかけるような・・・そんな幽かな淫らさを含んだハスキーボイスでした。

鏡の中のわたくしの眼は、赤く腫れたようになっておりました。
ポーチの中の髪ゴムでロングヘアを一つにまとめると、眼鏡を外します。
洗面所に冷たい水を溜めて・・・涙の痕の残る頬も・・・強く噛み締めて血がにじみかけた唇も・・・全てを洗い流したのです。
わたくしは、全くメイクアップをいたしません。そのことを、今日ほどよかったと思ったことはありませんでした。
もしメイクをしていれば・・・涙を流した跡は流れ落ちたファンデーションや黒く溶けたマスカラでもっと見苦しくなっていたことでしょう。

わたくしはハンドタオルを冷たい水で絞ると、バスタブの縁に腰をかけて両目に強くそのタオルを押し当てたのです。
3度ほど、瞼の熱で温まったタオルを水で冷やすことを繰り返すうちに・・・腫れも収まってきたのです。
わたくしはポーチから、化粧水を取り出して何度もハンカチで拭ったことで赤みを増した素肌の上に、薄く伸ばしたのです。

「これで少しはましになったわね。」
このあと、涙を止めたままでいることができるかどうかは自信がありませんでした。
少なくとも、わたくしのためにこの場所と時間を用意してくださった男性に、他の方のために流した涙の痕をできるだけ拭ってから、お酒をご一緒したかっただけでした。

銀幕の向こう側 4

「芝浦へ」
男性は運転手にそう告げると、携帯を取り出しました。
「ナカハタだが、これから伺いたいのだけれどツインは用意できるかな。」
ホテルのフロントへ・・・でしょうか。
「ナカハタミチアキだ。そう。」
すれ違うヘッドライトに浮かぶまなざしはやさしくわたくしを見つめたままでした。
「海側でたのむ。そうあと5分ほどで着くから。よろしく。」
ナカハタさんと電話で名乗られた男性はタクシーの運転手にホテルの名前を言うと、わたくしに向き合ったのです。
「あの・・・」
「君のことだ、そのままで人目のあるバーなんかに行きたくはないでしょう。部屋でルームサービスでもとって、ゆっくりとしましょう。大丈夫、君のいやがることはしませんから。」
男性はわたくしの手に触れることも・・・わたくしの名を尋ねることすらしませんでした。わたくしが、小さく頷き返したころ・・・タクシーはホテルの車寄せに到着したのです。
 
「ここで待っていてください。」
程よく照明の落とされたロビーのソファーにわたくしを座らせると、男性はお一人でフロントに向かわれました。
もう・・・0時まで何分もなかったことでしょう。
わたくしは、ようやく涙を抑えることができるようになっていました。
ナイトシフトのスタッフが行き交う都内の一流ホテルのロビーは、昼やディナー時の活気とは違うひっそりとした空間になっていました。
隣接するラウンジでは、ジャズピアノの生演奏をしているのでしょうか。人の声特有のざわめきを越えて、メロディアスな音の連なりがわたくしの耳元まで流れてきたのです。
「部屋ではなく、ラウンジで飲みますか?」
ベルボーイの案内を断って、男性はわたくしの前にいらっしゃいました。ピアノの音に気を取られていたところを見られていたのでしょうか。
「いいえ、酷い顔をしていますでしょう。あなたに恥をかかせてしまうわ。お言葉に甘えて、お部屋で頂戴します。」
まだ・・・・口元だけに笑みの形をつくるのが精一杯でした。
わたくしの言葉に頷いた男性に促されて、正面に見えるエレベーターホールへと向かったのです。
 
先ほど男性に声を掛けてらしたベルボーイが、エレベーターを呼んでいてくださったようです。
二人とも明らかに仕事帰りの・・・どう考えても宿泊の準備などなにもしていないのは一目瞭然でした。なのに、このホテルのお行儀のよいスタッフはほんの少しの怪訝さも見せず、遠来のお客様と同じ応対をしてくださいます。
一流ホテルならではの、心地よい慇懃さにわたくしは改めて感心いたしました。
「ありがとう。」
ごゆっくりお過ごしください、そういって礼を取るベルボーイの姿がエレベーターのドアの向こうに消えてゆきました。
「君は綺麗ですよ。」
コンソールパネルに向かい19階の釦を押しながら、男性はぽつりとそう仰ったのです。
「ん?」
わたくしはとっさになにを仰っているのかがわからなくて、隣の男性の横顔を見やったのです。
誰も乗り込んでくることなどほとんどない深夜のエレベーターの中。
いままでご一緒したことのある他の方達の中には、まるで部屋にゆくまでの短い時間も我慢出来ないと言う様に、わたくしに手を伸ばす方もいらっしゃいました。
でも、この方は違ったのです。
わたくしの横に並んだまま、エレベーターのドアにまっすぐ向き合ったまま、手を取る事すらなく立っていらっしゃるのです。
短い問いかけは彼の耳には届かなかったのでしょうか。
何のお答えもいただけないままに、エレベーターは19階へ到着したのです。

銀幕の向こう側 3

わたくしは、いつのまにか映像が歪んでいることに気付いたのです。
声を出すこともなく・・・ただ、涙だけがわたくしの頬を伝い落ちていたのです。
あの方とお別れをした後も、何人もの素晴らしい男性と出会い・・・いまわたくしは幸せです。
それでも、あの方を失ったという喪失感だけは未だに消えてはいなかったのです。
わたくしなら決してしはしない・・・映画館の中での痴戯。
あの方は、アブノーマルな性癖はお持ちでしたが、こういうことはお嫌いだったからです。
いまも、となりの・・・奥様の自由にさせながら強ばった表情を崩しもしない・・・スクリーンの明かりに浮かぶあの方の横顔に、わたくしは一気にお別れをしたあの時に引き戻されておりました。

スクリーンの中で少年を気遣う母は、自ら彼の前から姿を消し・・・それでも再び少年の元へ戻ってきてしまうのです。
そして彼女は、それまで身体を交わす事のなかったわが息子にはじめて身を任せるのです。頸動脈を切るナイフを手にして・・・。
乞われるまま両親の元に戻った少年は一夏で両親を亡くし、母の亡骸を前に・・・その絶望を性衝動へとすり替えてゆくのです。
エンドロールはオフホワイトの画面にワインカラーの文字で綴られておりました。
BGMもなく流れるエンドロールに、<G-7>にいたあの方は隣の奥様に急かされて・・・席を立ってゆかれたのです。わたくしの存在にとうとう気付くこともなく。
 
頬を伝う涙はまだ渇いてはおりませんでした。
でももう終わりです。左に置いたバッグの中から取り出したハンカチで、目頭と頬を軽く拭っても、涙は止まってはくれなかったのです。
上映時間が遅いせいもあったのでしょう。ほとんどのお客様は、エンドロールの間に席を立ってらっしゃいました。
なのに、わたくしの右隣の男性だけは動く気配もなくスクリーンに見入ってらっしゃるようでした。
 
客電が点いた時、わたくしはまだ立ち上がることが出来ませんでした。
俯いたまま、2階席のお客様が通路を降りてらっしゃる足音をいくつもやり過ごしたのです。
さすがに・・・もう、立たなくてはと思った時でした。
「大丈夫ですか?」
そう声を掛けてくださったのは、右隣の男性でした。
「ごめんなさい。」
あわてて立ち上がろうとしたわたくしの肩に、ほっそりとした手を置かれたのです。
「いえ、ゆっくりでいいですよ。大丈夫ですか?」
「・・・はい」
そう答えたあとからも・・・わたくしの眦からは涙が流れていたのです。
「・・っ・・もうし・・わ・け・ございません。」
閉館時間が迫っておりました。

わたくしはバッグを手にすると、男性に寄り添われながら映画館を出たのです。
「気にしないで。少しお酒でもご一緒しませんか。怪しいものではないですから。」
パンプスを履いたわたくしよりもほんの少しだけ背の高い男性。身体に触れられているわけではないのに・・・彼の優しい声にわたくしは包まれていました。
「ありがとうございます。でも、もうこんな遅い時間ですし・・」
お1人で映画にいらしているからと言って、ご家族がないわけではないでしょう。落ち着いた物腰と半白の髪は40代後半から50代になるかどうかの雰囲気を漂わせていたのです。
「君の帰りを待っている人がいるなら引き止めないよ。私は気楽な一人暮らしだからね。君が落ち着くまで一緒にいるくらい、構わない。」
涙が止まらないわたくしを目立たないファサードに立たせたままで、落ち着いてこんこんと語る様に・・・少しづつ警戒心を解いていったのです。
「初対面ですのに・・お心遣いありがとうございます。・・っく・・でも、こんなわたくしでは・・ご迷惑を・・お掛けしてしまう・・わ」
「こんな夜は1人で居るもんじゃないよ。私に任せてくれるね。」
こくん・・と頷いたわたくしの手を取ると、映画館の前の通りを走るタクシーに手を上げたのです。

銀幕の向こう側 2

この映画館は、単館の洗練された作品を上演する大人のミニシアターとして定評があります。
客席数は140席ほどでしょうか。
わたくしは1階の最上段、中央ブロックの左から2席目<I-5>席を選んだのです。
上映まであと8分。次々とお客様は入場してまいります。
流石にこのレイトショーの時間のせいでしょうか、お客様は140席では広すぎるほどしかいらっしゃいませんでした。

「奥の席、よろしいですか?」
最後の入場者の整理番号をアナウンスする女性スタッフの声が聞こえた時、中背の男性がわたくしに声をかけられたのです。
細身の身体からは想像できないほどに柔らかく丸い・・・良く通る声の方だったのです。
「どうぞ。」
わたくしは、立ち上がりその方に通路をお開けいたしました。会釈をしてその方は、わたくしの前を歩いて、一つ間を空けた奥の席に腰を下ろされました。
最初に目に入ったのは、男性が軽く組まれた足先のブラウンのローファーと靴下でした。
明るいウォルナット・ブラウンの靴にこっくりとしたマロン・ブラウンの靴下。その上に続くボトムは、一見グレーかと思うほどに彩度を抑えたサンド・ブラウンだったのです。
買われたばかりのプログラムを夢中でご覧になっていた男性のシャツは、ライトブルーにウォルナット・ブラウンと白のストライプが配されたものでした。
お好みになる方は多いけれど、なかなか上品に着こなす事が難しい<ブラウン・コーディネイト>を、半白の髪の男性は理知的に爽やかにこなしてらしたのです。
つい、見とれてしまったわたくしに、何か?という表情で視線を向けられた男性のブラックメタリックの眼鏡さえこの方にはぴったりだったのです。
いいえ、なんでもないんです 声を出さずに唇だけでそう答えて、スクリーンへ向けた視線の先に・・・わたくしはあり得ない方の姿を見つけてしまったのです。
 
その方は<G-7>の席に座ってらっしゃいました。そして隣には親しげな女性が、寄り添っていたのです。
いつの間に、いらしたのでしょうか。
昨年の春にお別れした・・・男性。わたくしが愛して、でも他の女性との結婚を選ばれた方でした。人ごみは苦手だと、よく口にされていたこの方を映画に誘うなら、こちらはきっと最適でしたでしょう。
以前お付き合いしていたときと同じに、ポップコーンとコーラを手にしたその横顔から、わたくしは目が離せなくなってしまったのです。
 
会場は暗くなり、スクリーンでは短い広告につづいて本編が始まりました。
濃やかな音の連なりが美しいフランス語に、陰影と接写を効果的に配した映像がテンポ良く続いてゆきます。
17歳の少年の久しぶりの両親との再会、父親の死、父親の遺した男としての性癖に向き合う少年の衝動・・・・そして少年がもっとも敬愛した母の衝撃的な告白「わたしを愛するなら、わたしのふしだらさまで愛しなさい」。
わたくしは、一生懸命物語を追わなくては・・・と念じておりました。
少年が宗教に守られた倫理観と、神聖で敬愛するべき対象だった母親が身を浸すアブノーマルで淫媚な世界との狭間で苦しみながらも、誰でもない母の存在に自らの性を刺激され、男として目覚めてしまう哀しさに心を殺してゆく・・・。
映像がエロティックに・・・セクシャルに・・・エスカレートするにしたがって、<G-8>の女性は、あからさまに<G-7>のその方にしなだれかかり・・・彼の手を取り・・・そして・・・。

銀幕の向こう側 1

梅雨も明けて、湿度の高い暑い毎日が始まったころのこと。
わたくしは仕事途中にあるポスターを見かけたのです。
<ジョルジュ・バタイユ> 
第一次世界大戦のころのフランスの思想家の名前が眼にとまったのです。難解で、エロティックなのに溺れきれない・・・。わたくしにとってそんな印象の作品を書かれる作家の名前でした。
彼の作品が映画化されたのなら、ぜひ観てみたいと思いました。
レイトショー上映のみ。
21:20からの上映なら、仕事の時間を気にすることなく観にゆくこともできるでしょう。
この素敵な思いつきを実行に移そうと、わたくしは強い日差しから逃れる様に、1階のエントランスのエレベーターへと向かったのです。
 
お仕事は予定通り、さほど時間が掛からずに終わりました。
レイトショーです。上演が終われば、都内住まいのわたくしでさえ、シンデレラよろしく急いで帰途につかなければいけない時間になってしまいそうです。
仕事の緊張を緩めるのと空腹を満たすために、いきつけのイタリアンへ向かいました。
軽いお食事と、フルーティな白ワインをいただいてから、陽も落ちて涼しくなってきた通りをウインドショッピングを楽しみながら、映画館へと歩いていったのです。

熱帯夜・・・になりそうな空気は、胸元の深く開いたフリルのブラウスにまで、まとわりつくようでした。
デシンとレースでつくられた黒のブラウスとスカートに、藤色のニットジャケットがこの日の装いでした。
インナーは藤色のサテンに黒のレースでトリミングをした・・・そう、少し娼婦のようなデザインのセットだったのです。ハーフカップのブラは、Gカップのわたくしの乳房を押し上げ、フェミニンなフリルの襟元に深い谷間を作っておりました。ガーターベルトも、キャミソールも・・・柔らかいスカートの素材にラインが響くのがいやで選んだTバックも・・・揃いのデザインです。
藤色のガーターベルトの留め具の先には極薄の黒のストッキングを留め付け、足元は軽快なバックストラップのパンプスでした。
フェミニンなのにセクシーなファッションは、その日のプレゼンテーションのコンセプト<Cool Black>をイメージしたものだったのです。

映画館は5階にありました。
わたくしが数時間前に手にした1枚のチケットは、昔風の切符を半分に切る形のものでした。
いまでは全席指定が当たり前になり、大振りなチケットを発行する映画館が多い中で、その少しレトロな仕掛けさえ好感がもてたのです。
開場時間の21:10と整理番号003が、刻印されておりました。
到着したのは21:00。
まだ、前の回の映画が上映中でしたが、すでにロビーへの入場は許されておりました。係員の女性の言葉に従って、入って左手の扉の前で入場までのわずかな時間をリーフレットを手に1人の時間を過ごしたのです。
R-18指定。
そしてレイトショー上映のみ。
そんな地味な映画のはずなのに、小さなロビーには想像していた以上のお客様が集まっておりました。
お二人連れでいらしている方もありましたが、1人で作品を楽しみにやってきたという風情の40代を超えた大人の男女の姿も目についたのです。
 
「開場させていただきます。お手元のチケットの整理番号001番から順に5名様づつご案内いたします。お1人様1枚ずつチケットをお持ちになりお待ちください。」
小柄な女性のスタッフの声に、わたくしはバッグと小さなチケットを手に立ち上がったのです。
一番最初に入場した5名は、わたくしも含め会場の奥の方・・・上段に当たる席へと向かいました。

閑話休題(インターミッション) 8-3

みなさま、おはようございます。
8月24日。
一年前の今日は、わたくしが生まれてはじめてmsnに立ち上げたブログで、<淑やかな彩>を綴りはじめた日にあたります。
おかげさまを持ちまして、昨日までに累計28万アクセスを頂戴し、無事に1周年を迎えさせていただきました。
これも一重に皆様方に可愛がっていただいたお陰です。誠にありがとうございます。

些細なのですが、お礼の気持ちを込めて閑話休題(インターミッション)をお届けいたします。

祥子の日常/ビジネスタイム 5

デスクワークの時にジャケットは脱ぎますが、足許をサンダルに履き替えたりはいたしません。
足許の乱れは姿勢も悪くいたしますし・・・どうも・・・ごめんなさい、個人的にしっくりこないからとしかお答えのしようがありませんわ。

「加納さん、ちょっと教えてくれないかなぁ」
「はぁい、なんですか?」
仕事柄、こちらの会社の他の方達よりはPCに詳しいことから、時々呼ばれて質問されることがあります。デスクに座ってらっしゃる、男性の肩越しに簡単な操作をお教えすることも、しばしばあります。
「ここのメニューバーから・・・」
お教えする時は、ちょっと手間ですが操作方法を耳元でお教えして、その方に実際に操作をしていただきます。わたくしがちょこちょこっと触ればそれで解決するのですが、そうしてしまうといつまでも覚えていただけませんでしょう。
一つお教えすると、それに合わせて関連した質問をいただくこともありますね。
企業ではほとんどWindows機を使ってらっしゃいますよね。わたくしはMacなのですが、質問いただくような操作は大抵わかりますので、なんとかお役に立っているようです。
同じオフィスにいながら、あまり業務内容が重ならない方達との、ささやかなコミュニケーションタイムです。

15:20。
そうこうするうちにクライアントへと向かう時間になりました。
今日プレゼンにお越しになるお客様は、以前別の案件でお世話になった方もいらっしゃるとのこと。楽しみです。
「プレゼンにいってきます。今日はこちらには戻りません。」
企画マネージャーとアシスタントの女性に声を掛けて、ジャケットとPCバックを手にオフィスを出ます。
地下鉄から私鉄へと乗り入れて50分。この移動時間の間に、今日のプレゼンのシュミレーションを頭の中で繰り返します。今朝の打合せだけでなく、その前の企画作成段階から幾度となく検証したストーリーです。よどみなく説明ができそうです。

都内での仕事の移動は電車がほとんどです。距離的にあまり遠くなければ、車を使う事もありますが、渋滞により時間を読めないのだけは致し方ありません。
お時間の約束を守るのも、営業の基本ですものね。

16:20
「お疲れさまです。」
「お待たせしてしまいましたか?」
「いえ、時間通りですよ。もう少し待ってください。」
クライアントのオフィスへと到着しました。わたくしを見つけた佐伯さんが声を掛けてくださいます。
山野さんは先に会議室に向かって、プロジェクターの準備をしていてくださるはずです。
セキュリティの受付前にあるソファで、約束のお時間までしばしの休憩です。
「今日は、どなたが?」
「営業企画とCS推進室のメンバーだって聞いてます。15名ほどでしょうか。加納さんは以前にも実績がありますから大丈夫ですよ。」
佐伯さんが、わたくしの質問に的確にお応えくださいます。
16:30から約1時間のプレゼンテーションです。

「お待たせいたしました。こちらへどうぞ。」
クライアントのご担当者が呼びにいらしてくださいました。
さぁ、これからプレゼンへ・・・・いってまいります。

祥子の日常/ビジネスタイム 4

「ありがとうございます。今回は方向性ですから、個別の商品についての各論は省いております。この案件に対する当社のポジショニングと、この提案のもたらす効果に重点を置いてまとめました。」
「いまは、航空会社もコスト重視でとにかくどんなものにもスポンサーを付けたり、広告をプラスしたりしがちだから、機内が雑然とする。こうして、統一したコンセプトを持ち込むと、数段高級感のある過ごしやすい雰囲気の機内に変わるね。」
「はい。同質化競争が続いている機内サービスで、他社に一歩先んじるのに環境を整えるという着眼点は効果的だとおもいます。」
佐伯さんも、企画のマネージャーも頷いてらっしゃいます。第一回めのプレゼンとしては、この方法で成功のようです。

「あの、説明のお時間や資料についてはいかがでしょうか?」
わたくしは、気になっている点を確認します。どんなに優れた提案でも、クライアントがプレゼンテーションに許してくださる時間には限りがあります。いただいている時間を有効に使って、充分な説明を印象的にさせていただくのがわたくしの仕事です。
「持ち時間は1時間ですから、30分は説明に使えます。」
控えめに教えてくださったのは山野さんです。
「いまの感じで説明してください。不足しているポイントなどは、最後に私が補足します。」 佐伯さんのレジュメには、既にいくつもの書き込みがされています。さすがに・・・この方の判断はいつも的確で素早いです。
「はい。わかりました。説明自体は20分ほどにまとめます。同じ画面を集中してご覧頂ける限界だと思いますので。後はお任せいたしますので、よろしくお願いします。」
やぁ、こちらこそ・・佐伯さんは頷いてらっしゃいます。
この方とのプレゼンは今回で3回目。お互いに阿吽の呼吸で進められる、素敵なご担当者のお1人です。
「企画書とプロジェクターはこちらで持って行きましょうか?」
「はい、よろしくお願いします。現地集合でしょうか。」
「ですね、10分前にクライアントのロビーで。」
「わかりました。」
手元の企画書を封筒にいれ、セットしてあるプロジェクターを山野さんにお渡しします。
「よろしくお願いいたします。」
エレベーターホールまでお二人を見送って、こうしてプレゼン前の事前打ち合わせは終了します。

12:00。
昼食は、こちらの会社のデザイナーの方とご一緒することが一番多いですね。
なにげない日常の趣味のようなお話の事もあれば、お食事をしながら簡単に企画の方向性を決めてしまうこともあります。
そんな時はメモも持たずに、互いの感性と記憶力の中で情報をやりとりします。
<パワー・ランチ>などと称して、お食事の場に沢山の資料や分厚いシステム手帳を持ち込むなんて・・・スマートじゃありませんでしょう。

13:00。
午後の外出までの時間を、先ほどの案件とは別の件の資料のラフを作って過ごします。
デザインとか企画というお仕事には、繁閑がありますからいつも・・・というわけではありませんが、だいたい一度に担当させていただいている案件は3~5案件になることがほとんどです。それに飛び込みのお仕事もありますね。
プレゼンテーションの時期がずれますから、納品に合わせて全体のスケジュールを組んでプレゼン日に間に合う様に資料づくりをするタイム・マネジメントもわたくしの仕事の一つです。
デザインの大まかな流れや今回提案したようなプランニングの仕事でも、構想をまとめるのは、意外と鉛筆と無地のレポートパッドを使っています。具体的なデザイン作業や、書類作成はほとんどPCですので一日6~10時間はPCの前のことが多いです。
打合せで人とお逢いしているか、PCでデザインワークをしているか・・・が、わたくしのお仕事です。

打合せには、やはりきちんとした装いが求められますので(デザイナーの装いのセンスが悪かったら、そのデザイナーにお仕事を頼みたいと思いますか?)、きちんとジャケットを着るようにしています。
でも、PCでの作業にジャケットは肩が凝ってしまいますでしょう。
ですから、個別の作業の時はジャケットをロッカーに仕舞って、ブラウス姿やカットソー姿になります。
いまも、ライトブルーのカットソー姿でお仕事をしているのですよ。
ジャケットを脱ぐと露になるバストのラインを、プライベートでお逢いする男性の方達は楽しみにしていてくださいますが、お仕事をご一緒する方達は何もおっしゃいません。

祥子の日常/ビジネスタイム 3

「おはようございます、加納です。」
わたくしはフリーですので、こちらのお仕事をする時はここの社名を名乗ってお電話をすることもございます。大阪や名古屋の支店の方と連絡を取るときも、近頃ではわたくしの個人事務所の名前を出す必要は全くなくなりました。
「佐伯です、おはようございます。今日の打ち合わせは予定通りでいいですか?」
「はい。何人でお越しになりますか?」
「私と山野の二人で伺います。」
「わかりました、お待ちしております。」
今日の午後のプレゼンテーションのための事前打ち合わせです。
プレゼンというと、以前は営業畑の方は丸投げでお任せ、というケースが多かったのですが最近では皆さん事前に打ち合わせを希望されます。
用意した企画書をお見せして、ストーリーの全体の流れと提案のポイント、こちらの会社にとってのメリット・デメリットをお話するのが打ち合わせの内容になります。

午前11:00。
「おはようございます。ゆうべは遅くまで掛かったんですか?」
朗らかで大らかな声は、営業マネージャーの佐伯さんです。真面目で厳しい表情の方ですが、笑われるとなんともチャーミングな男性です。
ご一緒にお仕事させていただくことが楽しみな男性のお1人ですね。
「いらっしゃいませ。いえ、さほどでもありませんわ。さぁどうぞ、こちらへ。」
お二人を会議室へご案内します。
佐伯さんの後で、書類を手に畏まっているのが新人の山野さんです。
わたくしが席を置かせていただいている、プランニング部門のマネージャーも同席しての打ち合わせがはじまりました。

今回、プレゼンに使用するのはレジュメと、パワー・ポイント。

お客様が数多くいらっしゃる場合には、プロジェクターとPOWER BOOKを持ち込んでパワー・ポイントで一気にご説明することが効果的です。
テレビや映画・CMといった<映像>に、日常的に触れていらっしゃるせいでしょうか。
提案の細目を詰めるのではなく、全体の方向性を選定していただく場合なのは、こうしてイメージを映像で訴えかけるプレゼンが効果的です。
できれば、簡単なプロモーションビデオのようなものが作れるといいのですが、そこまでは広告代理店がクライアントでも無い限りなかなか手を出すことはできません。プロモーション・ビデオに近いイメージで、場合によってはBGMなどをプラスしてプレゼンができるという意味では、パワー・ポイントは優秀なソフトですね。
プロジェクターも、コスト・大きさ共に機動的なものが増えております。今日ご提案するクライアントの会議室程度の規模でしたら、ノートブックPCとあまり変わらない大きさで高性能なものがありますから、それで充分です。

勿論、クライアントは印象だけで決定を促す訳には参りませんから、手元にはきちんとしたデータを添えた企画書をご用意いたしました。

今日のクライアントは、航空会社です。
プレゼンのテーマは「機内ユーティリティの統一」。
今日の装いは、ネイビーのピークドラペルのジャケットと膝丈タイトスカートにライトブルーのカットソーを選びました。
濃紺のストッキングにパンプス、シニヨンにまとめた髪型で、客室乗務員さんとまでは言えなくても、少しでも<機内>をイメージしていただきやすいように工夫します。

佐伯さんと山野さんにレジュメをお渡しし、パワー・ポイントでの説明をほとんどプレゼン本番と同じ様にいたします。約20分で、一通りの説明を終了します。
「いいですね。」 
これが佐伯マネージャーの第一声でした。

祥子の日常/ビジネスタイム 2

ショルダーストラップはほとんど使いません。
この大きさだとそれほど重くもなりませんし、重くなるほど何かを沢山入れて歩くというのも無粋でしょう。それに、冬場毛皮の時にストラップは使えませんしね。
確かに両手が空いて便利ではあるのですが、ショルダーにすることで姿勢が歪んでエレガントに歩けない・・・それが、ストラップを使わない一番の理由でしょうか。
やはりハンドバッグはその名の通り、必ず手で持つ・・のが美しいものです。

そう言えばわたくしも、とても若い・まだ会社員だったころは、A4の書類が入るような大きなサイズのバッグを長く愛用していました。
書類とプライベートのものをいろいろ入れて、ずっしりと重くなった大きなバッグをまるでキャリアの証のように持ち歩いていたこともありました。
でも、それはあまり美しくないことにある日気付いてしまいましたの。
いまでは、書類関係がある時には全く別のバッグに書類だけ入れて持つことにしています。12inchのiBOOKを持ち歩くこともありますので、そんなはエールラインのシリーズに書類とPCを一緒にということも多いですね。
出張などの時は、黒のエールバッグの大きいサイズのものをプラスします。
持って行くものに合わせて深さを変えられるシンプルな構造のバッグですが、収納力が高く1・2泊程度の旅行でしたら便利です。

わたくしは、フリーですから決まったオフィスに<出勤>するわけではありません。その時々、ご依頼をいただいたクライアントのオフィスに<伺う>んです。
近頃は、とても有り難いことに、わたくしのためにデスクを1つ用意してくださるクライアントもありますので、そちらにまず顔を出すことが多いでしょうか。
もちろん別のクライアントからご依頼があれば、そちらに先にお伺いします。
都内ですと、ほとんど東京メトロが移動の足になります。時間に正確で・都内を縦横無尽に走る地下鉄は大変便利です。
自宅からドアtoドアで、山手線内でしたらどのクライアントにも最長でも45分で到着できるのですから、とても快適です。
離婚と同時に都内に越してきたのも、この便利さ故ですね。

ただ一つ残念なのは、車を運転する機会がほとんど持てなくなってしまったという点です。ドライブには、時々誘っていただくのですが・・・自らの手で操作して、風を切り・風を追い越してゆく操作感はまた格別なものがあります。

クライアントへ伺うのはアポイントメントに合わせて。それ以外に、わたくしのスケジュールを縛るものはありません。
おつとめの方達よりも少し遅い時間の電車で移動することがほとんどです。
慌てて駅の構内を走ることも、年に一度あるかないか(笑)。そんな通勤時間を送らせていただいております。


オフィスに到着したのは10時30分頃でしょうか。
「おはようございます。」
午前11時を過ぎるまでの挨拶の言葉です。
もちろん11時を過ぎれば、こんにちわ・・になります。
わたくしに、用意されているデスクはオフィスの一番奥。既にお仕事を始められている何人かの方にご挨拶しながら、席に向かいます。
窓際の明るく、快適なスペースです。
席に付いてまず最初にすることは、Macを起動することです。メールチェックは出掛けに自宅で済ませていますから、あまり時間は掛かりませんがやはり一番最初にさせていただくことにしています。

「加納さん、お電話です。」
「ありがとうございます。3633へお願いします。」
こちらのオフィスの方達には、とても良くしていただいてます。
社員でもないのですが、普通に電話をつなぎここの社員さんと同じ様に接してくださいます。

祥子の日常/ビジネスタイム 1

おはようございます。
とても暑い毎日が続いておりますね。皆様お元気でらっしゃいますか?

蛍舞う夜の出来事<蛍火>。いかがでしたでしょうか?
あの夜に再会したグランシェフの田口さんは、<初雪>で美貴さん・山崎さん・石塚さんの3人と大晦日のディナーを頂戴したホテルのメインダイニングでお逢いした方です。
実に、半年ぶりの登場になりました。
<初雪>が長い物語なので、田口さんの印象もあまり強くなく、もう皆様には忘れられてしまったのでは・・・と田口さん自身も心配していました。
が、これで皆様にも素敵なシェフの田口さんのことを憶えていただけましたわね♪

次作<銀幕の向こう側>をお届けする前に、恒例<Profile of Syouko/肖像>をお送りいたします。
わたくしの朝の一時を描いた前回に続き、<祥子の日常/ビジネスタイム>です。数回に渡ってお届けする予定です。
男性の方達をお逢いしていない時の、わたくし。
前回同様・・・誠に申し訳ないのですが、セクシュアルなお話ではありませんの。どうかご容赦くださいませ。
それでは、どうぞお楽しみください。

蛍火 15

「よかったです。祥子さんは記憶にあった以上に最上の味でした。満足したはずなのに、もう・・・また口にしたくなるほどね。」
「やぁん・・・」
背後から寄り添っていらした田口さんの触れるだけの軽い口づけにさえ、わたくしの身体もまた・・・反応していたのです。
「だめ・・・人が来るわ。」
先ほど田口さんは、ホテルの方にタオルを届ける様に依頼したはずです。いつその方がくるか・・・わからないのです。
「見せつけてやりましょう、ここの人間に。この極上の味のこの女性は、私のお客様だって、ね。」
身に着けたばかりのフレアスカートに押し付けられた彼の腰は、また・・・まるで20代の男性のように・・・硬度を蘇らせはじめておりました。
「もう、田口さんたら。」
わたくしはくるりと田口さんに向き直ると、お髭に囲まれた唇に濃厚なディープ・キスを差し上げたのです。
フレンチの最後の・・・あまぁいデザートのようなキスを。

「それ以上おっしゃったら、わたくし田口さんのお店に伺えなくなってしまいますわ。」
唇を離すと田口さんの手を逃れて、髪の乱れを撫で付けました。
本当に、いつホテルの方が戻ってらっしゃるかわからないのです。
わたくしの姿は、ほんの少し前のご一緒にお食事をした姿に戻っておりました。
「そんなつれないことを言わないでください。お許しが無い限りは、今度こそ紳士的に振る舞いますから。」
足許に置かれたままの田口さんのコットンジャケットは雨を吸い込んで・・・重く・シワになっていました。
「ごめんなさい。ジャケット貸していただいてしまって。」
衿を掴んで一振りすると、袖たたみにして腕に掛けてしまわれたのです。今夜はもうシャツスタイルでお帰りになるしかないかもしれません。
「いえ、祥子さんの香りの染み込んだジャケットですからね。しばらくこれであなたのことを思い出させてください。」
わざと鼻先で香りを確かめる田口さんは思わせぶりな上目遣いで・・・身動きできなくなっていた先ほどのわたくしを思い出させるのです。
「そんな意地悪をおっしゃるなら、やはり美貴さん達とご一緒の時だけしか伺わない事にいたします。」
踏み石に揃えられたパンプスに足を通して、お待ちになっている田口さんに寄り添いました。
「できれば、ぜひお一人でお越しください。」
おどけた風に礼をする田口さんの頭には、グランシェフのコック帽が見えたような気がいたしました。
「さぁホテルに戻りましょう。さすがに、気が利くな。置いて行った傘は1本きりだ。祥子さん、どうぞ。」
わたくしは小雨の降る庭園の道を、田口さんと腕を組みながら一つの傘でホテルまで戻ったのでした。
 
 
 
祥子からの手紙ー13
 
こんにちわ。祥子です。
この夏は梅雨が長引いておりますね。
日本の梅雨らしいひっそりとした雨ではありますが
反面、スコールの様な雨も増えて・・・
なんだか、風情が欠けてきているように思えてなりません。
 
蛍の舞う夜は、思わぬ方とご一緒の時間を過ごすことになってしまいました。
あのあと、田口さんはわたくしを自宅までタクシーで送ってから
ご自分もそのタクシーでお帰りになりました。
「このスーツで電車っていうわけにはいかないからね」 そう仰って。
そして「今度はぜひ私の店でお逢いしましょう」
そうも言い残していかれました。
 
嵐のような激しさと深い感性をお持ちの方。
またいつかシェフと顧客としてではなく
一人の男と女として、ご一緒することが・・・あるのでしょうか。
 
穏やかな休日の午後。もう蛍のいないあの庭に行ってみようと思います。
夏の緑滴る・・・あのお庭に。

蛍火 14

「無茶をして申し訳ありませんでした。」
田口さんの唇はまだわたくしの唇や頬のあたりを彷徨っておりました。
気がつけば、雨の音は水分静かになったようです。
「ふふ、祥子さんの蜜でスラックスが濡れたようですが、今夜の記念だと思えば幸せな痕跡ですよ。」
「あん、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
わたくしのスカートを奪い取っていながら、田口さんはスラックスの前を開けただけの姿でわたくしを犯していたからです。
「ええ、帰りも車ですからね。心配なのは祥子さんのフェロモンでタクシーの運転手をムラムラさせそうなことぐらいですよ。」
「いやっ・・・いじわるぅ」
ははは。田口さんの大らかな笑い声は、周囲の闇を払う様です。
先ほどまでの喘ぎさえも密やかに交わし、存在を押し殺していた時間が嘘のようでした。

「ちょっと待っていてくださいね。」
田口さんは明かりをたよりにどこかへゆくと、すぐに戻ってらっしゃいました。
「これで、始末をなさってください。」
この方は、わたくしが動けない理由に気付いてらしたのでしょう。
差し出されたのは田口さんのハンカチでした。
「そんな・・・使えませんわ。おねがいです、わたくしのバッグを取ってください。」
身体を交わした後の体液の後始末を・・・男性のハンカチでなんて。
「急がないと、またホテルの人間が来てしまいます。祥子さんができないなら私がして上げましょう。」
田口さんはそう言うとわたくしの下半身を被っていたジャケットを奪い取り、脚を広げさせてしまったのです。
「あん・・みないで・・・ください。」
「ああ、これじゃ動けませんね。祥子さんの蜜と僕の精液で真っ白だ。」
「あぁっ・・・」
太もも内側から狭間へ向かって、冷たく濡れたハンカチで拭ってゆくのです。
板の間まで糸を引く様に滴る、淫らなぬめりさえ知られてしまったかもしれません。
「立ってください。」
田口さんはハンカチで拭った後を、綺麗になっているかを確かめるように彼の指で撫でてゆきます。
「だめですぅ・・・たぐちさ・ん・・」
腰の丸みから太もも・・・そしてガーターベルトで吊られたストッキングの上端まで。
左右のそれらの場所から田口さんの指がぬめりを感じなくなるまで、丹念に拭われてしまったのです。
「祥子さんが良過ぎて、沢山出してしまいましたから、まだ垂れ落ちてきてしまうかもしれませんね。」
「いゃっ・・」
わたくしの身体がそのことを一番良く知っていたのです。
このままだと、自宅へ帰り着くまでに・・・スカートを汚してしまいかねません。
ホテルに戻ったら化粧室へいかなくては。

「さぁ、私が着せてあげましょう。」
田口さんの手にはわたくしのTバックが握られていたのです。
「だめ・・・自分でいたしますわ。」
「私が脱がせたものは、私が穿かせてあげますよ。」
恥ずかしい・・・形に田口さんはTバッグを広げてわたくしの脚元に差し出すのです。
外の明かりに浮び上がる、はしたないランジェリーの内側を見られたくなくて、わたくしはスリップで腰を被うと・・・急いで田口さんの前に脚を運んだのです。
「あぅっ・・・」
後ろ向きに立つわたくしに・・・ウエストを引き上げると、Tバックを食い込ませる様にして穿かせてくださいます。そしてまくり上がったヒップの丘にきつく口づけをなさったのです。
「見てると何度でも挑みたくなる身体ですね。流石に今夜は身体がもちませんが、一晩中でも可愛がりたいですよ、祥子さん。」
「・・・あん・・だめ」
わたくしは愛撫を再開しかねない彼の手から逃れました。
もういつホテルの方がいらしてもおかしくないのです。
足元にあるスカートを取り上げて田口さんに背を向けると、素早く身につけたのです。

蛍火 13

「ゆるして・・ぇぇ・・・はぁぁぁ・・いい・・・」
微かに開いた眼に、雷光と違う明るさが窓から差し込んでいることにはじめて気付きました。
「ああ、電源が回復したみたいですね。まもなくホテルの人間がくるでしょう。そろそろ、逝かせてさしあげます。」
わたくしのカットソーを引き上げると・・・サテンのブラからGカップの白い乳房をまろびださせたのです。
「いやぁぁぁ・・・みちゃ・・だめぇぇ・・・」
わたくしの羞恥と淫楽に乱れた表情を確かめると、無言のままで激しく・奥までの抽送をはじめたのです。
「あぁぁぁ・・・いぃっ・・」
衣服とランジェリーに挟まれているのに、白い乳房はそのボリューム故にわたくしを裏切る様にはしたなく震えるのです。
「いい景色ですよ、祥子さん。」
田口さんの律動に揺れる乳房の先端は、高く・・・大きく立ち上がっていたのです。長身をかがめるようにして、腰の動きを止めることなく田口さんの唇がその昂りだけをねぶるのです。
「ゃあぁぁん・・・」
「籠った肌の香りがまだ残ってますね。」
もう一つの乳首へと移る田口さんのお髭が、口にされたばかりの乳首を・・・敏感になった白い肌をこすってゆきます。
「あっ・・・いっちゃうぅぅぅ・・・」
たまりかねて悶える肩に、突き出した乳房にお髭を口元を埋めるようにして敏感な左の乳首を舐られ甘噛みされたとき・・・わたくしは追い込まれて最後の哀願を漏らしてしまいます。
「そう、逝くんです!祥子さん。逝きなさい! 逝け!!」
子宮をずんと突き上げてくる塊が・・・わたくしの一番敏感な奥を・・・蜜音を響かせながらかき回すのです。
「ああああ・・・いくぅぅぅ・・・」「逝くっ!」
突き上げた先端からしたたかに放たれた精が、わたくしの胎内をゆっくりと真っ白に染めていったのです。
 
 
「どなたか、おいでになりますか?」
建物の戸を軽くノックする音が聞こえました。
「ああ、雨宿りさせてもらっていたんだ。」
わたくしの身体に田口さんはご自身の大きなジャケットを被せると、抜いたばかりの塊をご自身のスラックスに納めて戸を開けたのです。
戸の外には数本の傘を手にしたホテルの男性スタッフがおりました。

「勝手に上がって悪かったね。明かりが消えてたから動きようもなくてね。」
わたくしは咄嗟に上半身の身繕いをすると、露な下半身に田口さんのジャケットを掛けて、身動きも出来ずに身を縮めていたのです。
未だ引かない絶頂に、蜜壷はジャケットの下ではしたなくひくつき続けておりました。吐出されたばかりの大量の精液が・・・わたくしの太ももの狭間を伝って腰の丸みの方へと・・・滴りはじめていたのです。
「申し訳ございませんでした。落雷で電源がショートしてしまいまして。」
上がりがまちに座り込むわたくしを見て会釈をなさいます。
「いや、天災だから仕方ないよ。私も連れも随分濡れてしまったのでね、タオルを借りたいんだが。身体を拭ったら、ここを出るよ。」 
「申し訳ございません。気がつきませんでした。傘はお持ちしたのですが・・・、すぐにご用意させていただきます。失礼いたします。」
一礼すると手元の携帯で何か指示をなさったようです。
「すぐに別のスタッフがまいります。お使いになりましたら、タオルもここにそのまま置いておいてください。ご無事でよろしかったです。これに懲りずにまたお越しくださいませ。失礼いたします。」
随分と小雨になりましたが・・・と言いながら田口さんの手に傘を渡すと、戸を閉めてスタッフは立ち去ってゆきました。
 
「大丈夫でしたか?」
「ん・・んく・・」
田口さんはわたくしの隣に腰を下ろすと、答えを待たずに唇を重ねたのです。
唇と舌でわたくしを確かめるような・・・でも欲情ではない幸せな優しさをたたえたキスでした。
「だい・・じょうぶ・です。たぐちさんは?」
シェフのがっしりとした肩に頭をもたせかけて・・・わたくしは答えたのです。

蛍火 12

「私の味をまだ憶えていましたか?それともあの翌日から、憶えていられないほどあの方達に犯されたんですか?」
「はぁぁ・・・やあぁぁぁ・・・」
答えられはしません・・・あの翌日の朝・・・移動の車の中からわたくしの身体を愛で続けた男性達のことなど。
「ああ こんなに中が蠢く。なんて身体なんですか。」
淫媚な羞恥と快楽に塗れた記憶が、わたくしの体芯をゆさぶります。
はしたない蠢きはそのせいでした。

田口さんは、ただ単純に抽送を繰り返すようなことはしないのです。
わたくしの四方の壁の細部まで・・・突き広げては再奥の一番感じる部分へと押し込むのです。
「ゆる・・し・・てぇぇ・・・だめ・・っ・・・」
お食事のワインで火照った身体は・・・一層敏感に反応してしまいます。上半身を支えていた腕は力をなくして、無惨にも崩れ落ちてしまったのです。
「ふふ 腰だけを突き出しておねだりですか、祥子さん。」
突き下ろすように角度をつけて、大きく抜き差しを繰り返すのです。
わたくしの奥は逞しい塊を求めて収縮し・・・花びらは激しい波にもみくちゃにされるたびに蜜にまみれ・・・田口さんの塊に思うがままに翻弄されつづけたのです。

「ああぁぁん・・やぁぁ・・ちが・・ぅぅ・・のぉぉぉ」
ずぅぅぅん・・・・。
容赦なく突き入れられ、子宮に当たってもなお奥へとねじ込まれようとする塊にわたくしは気をとられていたのです。
いつのまにか・・・田口さんの目の前にあったスカートのウエストがはずされ・・ファスナーも引き下ろされていたのです。
「祥子さんを正常位で犯したくなりました。今夜はあなたの逝き顔を見せていただきます。」
ずちゅぅぅ・・・ 淫らな水音を立てて身体を離し、わたくしのウエストからスカートを引きずりおろしたのです。
「さぁ!」
わたくしの上半身を立たせて・・・膝までスカートを落とすと・・わたくしを仰向けに押し倒し足先からパンティとスカートを抜き取ってしまわれたのです。
「脚を開くんです!」 
引き寄せた両膝に手を掛けると、とても強い力でわたくしの脚を左右に割るのです。
「やぁぁぁ・・・・」
わたくしの抗いの声と同時に、窓の外に稲光が閃きました。

「相変わらず綺麗な花びらをしていますね。」
一瞬の閃光は、わたくしの蜜にまみれた真珠と花びらを田口さんの脳裏に焼き付けるには充分過ぎたようです。
「綺麗な花ほど散らしたくなる。」
ゴロゴロ・・・ 数秒遅れた雷鳴が合図だったように・・先ほどまでの行為で根元までしとどに濡れたままの塊を一気に押し込んだのです。
「ああぁっ・・ぁぁぁぁ・・・」
節くれ立った塊はわたくしの中程で一度止まり・・・締め付けたその場所をねじ込む様にして・・・入り込んでゆくのです。
「明かりのないのが残念ですね。でも、微かな明かりに浮かぶ祥子さんの感じている顔も、そそりますね。」
田口さんはさきほど一度止まった場所を・・・何度も繰り返し塊でこすりたてるのです。
「はぁうぅぅっくぅ・・だめぇ・・そこぉぉぉ」
「ここですね。バックからだとよくわからなかったですが、祥子さんは数の子天井なんだ。あぁここ、ほら、締め付けるから余計に擦れるんですよ。」
「やぁぁぁ・・・」
「視界が閉ざされていると触覚が敏感になる。ああ、いいですよ、祥子さん。うっ・・・また締めて。」
田口さんの塊の先端の大きく張った部分が、快感にひくつくわたくしの蜜壷の全ての場所の感触を、確かめるかのように抉ってゆくのです。
「ぁぁぁああ・・だめぇぇぇ・・・」
深く・浅く・・・抜き差しの速度が上がってゆきます。
わたくしも田口さんと同じなのです。
視界を塞がれて・・・雨の籠ったような湿度に肌を囲まれて・・・田口さんの大きな身体に・・大きな手に・・大きな塊に身体を開かれ・押し込まれて・・・どんどん追い込まれていったのです。

蛍火 11

「仕方がない。どうやら後から犯されたいようですね。」
身を堅くしたわたくしの膝を、田口さんの脚がとん・・と後から突くのです。
思わず膝を崩した身体を抱きしめたままで・・・田口さんはわたくしを獣の姿に変えてしまわれたのです。
「こうすれば皺にもならないでしょう。」
わたくしの腰を高く上げさせると・・・フレアーになったスカートの裾を背中のほうへと全てまくり上げてしまったのです。
「あぁぁっ・・・ゆるして・・・」
「ふふ 思ったとおりですね。」
わたくしの白くまぁるい双丘は、ピンクパール色のサテンのスリップに縁取られて・・・闇のなかにそこだけが存在するかの様に浮かんでいたのです。

「だめ・・・おねがい・・みないで・・・」
「祥子さん、蛍がなんであんなに綺麗に光りながら飛ぶのか知っていますか?」
身を起こそうとするわたくしの背中を、田口さんが押さえ込みます。
「・・・ゆるし・・て・・は・あぁっ・・・」
パァン・・・田口さんの手がむき出しのヒップにスパンキングを加えたのです。
「あれは求婚と発情の印なのですよ。点滅する明かりで、異性を虜にする。」
「やぁっ・・・」
パァン・・・同じところにもう一度。
愛撫の為のスパンキングのはずでした。
なのにその音は、激しい雨音ごしにさえ外に漏れてしまいそうなほどの大きさだったのです。
「短い命を繋ぐための蛍さえ、腰の明かりは点滅させているのに、祥子さんのここは白く光ったままで私を誘惑し続ける。」
「ゅるしてぇ・・・」
パァン・・・スパンキングに揺らいだ身体の反対側の太ももに、今度の手のひらが飛んだのです。
「その上こんなにフェロモンまで燻らして。蛍とちがって祥子さんは発情しっぱなしみたいですね。なんて淫乱なんだ。」

「あぁっ・・ぁぁぁ・・」
田口さんの指が、ぎりぎりの面積で秘めた部分を被い隠すサテンの上をつぅぅぅっと・・・滑ったのです。
「もうたっぷりとソースを溢れさせているようですね。」 
「いやぁぁ・・・」
「その声を聞くだけで逝ってしまいそうですよ。ほんとうに極上の料理だ。ソースの味見を直に私の口でして欲しいですか?祥子さん。」
「やめてっ・・・」
お口の周りの髭の感触さえわたくしを狂わせてしまう・・・のがこの方の<味見>なのです。
この姿のままで・・・田口さんの口唇で愛される、そんな恥ずかしいことはできません。
「それじゃ、味見は抜きですね。早速ディナーにしましょう。」
 
「ゃあぁぁっ・・・」
田口さんの手が、わたくしのTバックを一気に膝まで引き下ろしたのです。
次の瞬間には、熱い塊が・・・花びらに押し付けられていました。
「今夜も美味しそうだ。・・うっ」
「はああぁぁぅ・・・あぁ・・ん・・」
あの夜と同じ様に・・・後からシェフの塊が押し込まれていったのです。
今夜は、犯され追い込まれてゆく淫らなわたくしの表情を見つめつづける美貴さんがいらっしゃらないだけでした。
ぬちゅ・・くちゅ・・・確かめるように・・・いえこの方の言葉を借りれば・・・じっくりと味わう様に・・・田口さんは大きな塊をゆっくりと出し入れするのです。
「ああ この味。あの時よりもまた美味しくなっているみたいですね。」
ぐるり・・・・わたくしに押し付けたままの腰を捏ねて、田口さんの責めに締め付けを強める奥までも満遍なく味わおうとするのです。
「あぁっ・・・ぁぁあん・・・だめ・・」
抑えたわたくしの声は、激しい雨の音で外にまでは聞こえなかったでしょう。
でも田口さんの耳には・・・しっかりと届いてしまっていたようでした。

蛍火 10

「私はね、結構好きなんですよ。このままここで祥子さんを可愛がりたくてうずうずしてるんです。」
そう仰りながらわたくしの腹部に押し付けられた塊は・・・もうすっかり猛々しく昂っておりました。
「夜目にも、祥子さんの肌ならまるで蛍みたいに白く光ってみえるでしょうね。その腰を露にして、ここで照明が回復するまで嬲らせてくれるんですか?」
あぁ・・・わたくしったら・・・なんて不用意に・・・この方とご一緒してしまったのでしょう。
つい先ほどまで、あんなに紳士的だったのに。
「だめ・・です・っ・・」
ふるふると首を振るわたくしの後頭部を押さえて、今度は最初から淫らな口づけをなさるのです。
「挑発したのは、祥子さんです。その声で、その慎ましやかな姿で、Gカップのバストの感触で、淫らなあなたの体臭で。このまま何もなしでは帰しません。ここで立ったまま犯しますか?それとも中に入りますか?」
「おねがい・・・中で・・・」 
ガラガラ・・ガシャ・・ン・・ わたくしを抱きしめたまま建物の中に連れてゆく田口さんの向こう・・・庭園の中へ・・またひどく近くに雷が落ちたのです。


引き戸一枚ですが、閉じれば雨の音はいくらか静かになりました。
その分わたくしの鼓動を・・・田口さんの荒い息を・・・必要以上に意識することになってしまったのです。
「ふたりともずぶ濡れですね。祥子さんは腰掛けてください。」
稲光に見えたそこは、上がり框から続いた3畳ほどの広さの板の間でした。
このまま立ち尽くしていても、雨は止む様子がありません。わたくしは濡れてしまったバッグを隅に置くと、素直に腰を下ろしました。
田口さんも、すっかり濡れてしまったコットン・ジャケットを脱いでいました。
白いノーネクタイのシャツが・・・コックコート姿の彼をデジャビュのように思い起こさせたのです。
「土足で上がる訳にはいきませんからね。」
その大きな白い肩がわたくしの前に腰を下ろしたのです。
ほとんど明かりはありません。漆黒の闇にときどき空をよぎる雷の光だけが、コマ送りのフラッシュのように二人の姿を浮び上がらせます。

「足を・・・」
わたくしの足首を掴むと、サイドカットのパンプスの踵に手をかけ、つま先を抜き取ってゆきます。そして右足も。すっかり濡れた靴を裏返す様にして踏み石に立てかけてくださいます。
「ありがとうございます。ごめんなさい、足元のことまでしていただいて。」
男性のお靴の始末をさせていただいたことはあっても、こんな風にしていただいたことは・・・
「・・・あぁっ自分でいたしますわ。」
わたくしの足首を掴んだままだった田口さんは、腰ポケットから取り出したご自分のハンカチで濡れた足先を拭いてくださるのです。
「いえ、やらせてください。祥子さんの身体を拭うなんて、美貴様でもおやりになったことがないでしょう。」
ふくらはぎの中程まで・・しっかりと拭うと両脚を揃えて板の間に上げてくださいました。
 
今度は田口さんが靴を脱いでわたくしの隣に上がっていらっしゃいました。素足にローファー・・・なんて粋な出で立ちだったのでしょうか。
「寒くないですか?」
「ええ。」
わたくしは、実はほとんど・・・足元とスカートの裾以外濡れてはいませんでした。雨が降り出してから、田口さんの大きな身体がすっぽりと被って・・・かばってくれていたからです。
「田口さんこそ、ひどく濡れたのじゃなくて?」
「大したことはありません。」
いつのまにか後に廻って・・・大きな手で肩越しに・・・両の乳房を抱きしめられたのです。
「お陰でこうしてまた祥子さんを味わうことができる。」
「はぁぁ・・ん・・だ・め・・」
わたくしの首筋に押し当てられた田口さんの唇は火の様に熱かったのです。
「味見ばかりさせて、ディナーはお預けなんてひどいですよ、祥子さん。」
アップにまとめた髪は、わたくしの敏感で感じやすい耳元も、普段は陽に晒す事のない首筋も無防備に田口さんに曝け出していたのです。
「このままだとスカートが皺になってしまうでしょう。ご自分で脱いでください。」
「ぁあぅっ・・・」
前に回した両手の指を乳房にめりこむようにさせて・・・わたくしを立ち上がらせるのです。押し付けられた田口さんの腰はスラックス越しにでもわかるほどに大きく熱く・・・既にひくついていたのです。
「祥子さん。」
わたくしの左の耳朶を田口さんが甘噛みします。
「雨が止んだら間違いなく人が来るでしょう。のんびりしている暇はないんです。」
たしかに仰るとおりなのです。でも・・・自分の手で服を脱ぐなんて・・・
「やぁ・・・」
唇と両手と昂った塊が・・・静かに、淫らにわたくしを責め立てるのです。
それでも、この場で・・いつ人がくるかわからないここでスカートを脱ぐなんてわたくしにはできませんでした。

蛍火 9

「でも、タオルもありませんし、こんなに濡れていたら畳をだめにしてしまいますわ。」
この敷地内にある以上、ホテルの施設なのです。なんの許可もないまま建物を利用することに、わたくしは抵抗を憶えたのです。

わたくしはハンカチで彼のジャケットの肩を拭うために、田口さんに寄り添い・・・こうお返事したのです。
「このまましばらく雨宿りしまし・ょ・・」
ガラガラガッシャ・・・ン・・ガラッシャン・・・・ 
「きゃっ・・・」
強い光と耳を聾するような音が同時に・・そして立て続けに襲ったのです。隣に立つ田口さんに、わたくしは思わず縋り付いてしまいました。
「大丈夫ですよ、祥子さん。」
わたくしを強く抱きしめた田口さんは耳元で・・・やさしい声を掛けてくださいました。ただし・・・左手は、レースのフレアスカートに包まれた腰に這わせながら。
「ごめんなさい、わたくしったら・・・」
ガラガラガッシャ・・・ン・・ 
「きゃ・・」
不用意に田口さんに預けてしまった身体を引き離そうとしたとき、先ほどよりひと際大きな雷が・・・三重塔の近くに落ちたのです。
二人の周囲に控えめとはいえあった照明が、ふっと・・・一斉に消えました。
「やっ・・・」
都心の、安全な、ホテル内の庭園にいるのです。
なにも怖がる必要などないのに、それでもわたくしは闇に包まれることに恐怖心を憶えたのです。我が身を引きはがそうとしていた田口さんの胸に、ふたたび縋り付いてしまいました。
 
「大丈夫です。ホテルの本館は停電していませんから。庭の電気系統がショートしただけでしょう。雨が小降りになれば直に修復されます。それに、ほら・・・」
田口さんが指差された先の地面に、それこそほんとうにとびとびにですが非常用の明かりが・・・まるで蛍火のように薄くぽぉっと点いたのです。
「ごめんなさい、あんなに酷い雷。びっくりしてしまって・・・」
まだ雷の音は去っていませんでした。
雷鳴は特有のオゾンの匂いを激しい雨に乗せて地上にまき散らしてゆきます。漆黒の空に稲光が走り、数秒後には大きな雷鳴がいたします。
その間隔は少し開きはしたものの、まだ充分に大きなものでした。
雨は、一層強く降り続いています。
ホテルを出た時のあのまとわりつくような湿度は、この雨の予兆だったのでしょう。
「ほんとうに、ごめんなさい。」 
「祥子さん、そちらに行ったら濡れますよ。」
身体を離そうとしたわたくしの腰の動きを、田口さんの腕は許してはくださいませんでした。
がっしりと抱かれたわたくしの身体は、身動きもままならないほど彼の身体に密着していたのです。
「おねがい・・・」
「食事をしている時からずっと我慢してたんです。さっき腕を組んで歩いた時に触れた祥子さんのバストの感触で、年甲斐もなく発情してしまいました。」
「やぁぁっ・・・・」
田口さんの左手は、一旦手離したわたくしのフレアスカートを再びたくし上げ初めていたのです。
 
「どうせ誰も来ませんから、ここででもいいですよ。雨に閉じ込められた野外でこんな風に身体を密着したまま祥子さんを嬲るのも一興です。」
右手はわたくしの肩に・・・傾げた首はわたくしの右耳を舐るかのような至近距離で・・・淫らな提案を口にするのです。
「だめっ・・・」
バタバタと叩き付けるような雨の音が、わたくしの抗いの言葉を打ち消してゆくようです。
「ふふ、今夜もガーターなんですね。それなら余計ここででも充分ですよ。あぁ、あの夜と同じTバックだ。仕事関係の集まりの時でさえ、こんな扇情的なランジェリーを身につけるのですか、祥子さんは。」
「ちがう・・の・・・あぁぁっ・・・」
清純なほんのりとピンクがかったパールのランジェリーセットは、今日の慎ましやかな装いのために選んだものです。パンティのカットは大胆なものだったけれど・・・ほんの僅かでも淫らなことを思い浮かべもしなかったからです。

フレアをたっぷりと取ったレースのスカートは、田口さんの手の侵入を容易に許してしまったのです。
すっぽりとスカートの中に入り込んだ田口さんの手は、ガーターベルトとTバックの狭間で露になっているヒップを、上質な食材の鮮度をたしかめるかのように・・・撫で回すのです。
落ちてくる雨同士がぶつかるあまりの激しさに・・・霧状になった水滴がわたくしの太ももにも・・・スカートをたくし上げられたむき出しの腰にも・・・まるで好色な男性の視線のようにまとわりつきます。
 
「あの時も、窓外に淫らな姿を晒されただけで蜜を滴らせていましたね。祥子さんは露出好きなのかな。」
雨音に消されることもないほどに、耳元に近づけられた田口さんの唇が、思わぬことを囁くのです。
あの時は・・・ホテルの26階でした。周囲にほとんど同じ高さの建物のない・・・メインダイニングの窓にわたくしを括ったのはこの方なのです。
「誰も来ないとはいっても、こんなとこで下半身を晒して感じてるんですか?」
「いやぁ・・・ちがうわ・・・」
田口さんの淫らな手の動きに・・・スコールのような雨に包まれた夜の屋外での行為にピクンと身を震わせ・身悶えしてしまった微かな動きまで・・知られてしまったのでしょうか。

蛍火 8

右手に池が左手に水路のある歩道は、進むほどに舞う蛍の数が増えてゆきます。夢幻・・・という言葉さえ思い浮かぶほどでした。
「飼育しているそうだが、これほどとはね。」
乱舞する光が、田口さんとわたくしの周囲をとりまくのです。好奇心の強い虫なのでしょうか。
「祥子さんの甘いフェロモンは、蛍にもわかるみたいですね。」
「いやですわ、そんなことおっしゃったら。」
他の方には聞こえないように、すぐ側でわたくしの耳元にそんな淫らな言葉を囁くのです。わかっていても恥ずかしさは変わりません。
話題を変えなくてはと・・・思ったのです。
「ご一緒していただいてよかったわ。1人だと、せっかくの感動を思う存分味わえないでしょう。ありがとうございます。」
「こんなに喜んでいただけてよかったです。」
田口さんのお髭の中の唇から、白い歯がにこやかに覗いていました。

そぞろ歩くという言葉のとおり、蛍のあかりを楽しみながらゆっくりとお庭の奥へと進みます。
「ずっと以前に穂高で見た時よりたくさん飛んでるみたいだわ。」
「穂高ですか。どなたとご一緒だったのかな。」
「ふふふ、そんなんじゃありません。学生時代の夏合宿でしたの。こんな庭園ではなくて、普通の田んぼのあぜ道でした。都会育ちだったものですから、あれほど沢山の蛍を見た事がなくて、とても嬉しかったことを覚えてます。」
蛍の時期は庭園をそぞろ歩くお客様も多い、と聞いていましたが今夜はこのひどい蒸し暑さのせいでしょうか・・・お客様の数もちらほらとしか見かけませんでした。
「夏合宿ですか。お若いころの祥子さんにもお逢いしてみたかったですね。」
「ふふふ、あのころはきっと可愛かったと思いますわ。」
「いまのほうが間違いなく魅力的でしょう。」
「お上手ね、田口さんは。」
 
大きな池を抜けても、左側を流れるせせらぎのせいでしょうか、蛍はまだ飛び交っておりました。
わたくしが、田口さんを見つめて微笑んだところでアップにした髪にカサッとなにかが触れたのです。
「祥子さん、動かないで。あなたの髪に蛍が止まってる。」
それが、蛍だったなんて。
「ほら、力強く光ってますよ。蛍も私の意見に賛成のようだ。」 
「もう、田口さんた・・っ」
蛍を驚かさないようにと田口さんを見つめたままだったわたくしの唇を・・田口さんが塞いだのです。
「ん・ん・・・っ」
エスプレッソの香りのキスは、強く・・わたくしを貪ったのです。

「・・ん・・もう・・だめですっ」
まだ周囲にいるかもしれない人をはばかって、左手で大きな彼の胸を押し返しながら、わたくしは小声で抗議したのです。
「あっ、蛍が飛んでいってしまったみたいですね」
もう、恍けて・・・田口さんたら。
「悪戯をなさるからですわ。」
彼と唇を交わすのは、はじめてではありませんでした。
でも、こんな不意打ちを受けるとは思っていなかったのです。
「祥子さんがあんまり魅力的だからですよ。やっぱり十代のころの祥子さんよりも、いまの祥子さんの方が私は好き・・・」
バ・タ・バ・タタタタタタ・・・・ 田口さんの言葉を打ち消すほどに強い大粒の雨が突然落ちてきたのです。
 
「祥子さん、こっちです。」
傘なんて持ってはいなかったのです。
ホテルの本館からはもう随分と離れておりました。わたくしは田口さんのおっしゃる方へと小走りに着いて行ったのです。
夕立でした。あっという間に雨は酷い降りになってきました。
それでも、二人は酷く濡れてしまう前に茅葺きの建物の前にたどり着けました。
大きく張り出した軒下にわたくしたちは避難したのです。
「ここで雨宿りしていましょう。中に入れればいいんですけどね。」
「何ですの?ここは」
激しい雨の音に、声を少し大きくしなければ田口さんに届かないほどでした。
「たしかお茶室だったと思うんだが。」
いくつかの戸をカタカタと動かしていた田口さんは、やがて一つ・・・開く戸を見つけたようでした。
「ここから入れそうです。濡れますから中へ入りましょう。」
たしかに仰る通りなのです。
足元の玉砂利から跳ねる雨粒は、わたくしのストッキングを酷く濡らしておりました。

閑話休題(インターミッション) 8-2

皆様、こんばんわ。
夏休み休暇いかが御過ごしでらっしゃいますか?
「蛍火」もそろそろ佳境にはいろうというところですが、ここでアンケートをさせていただきたいと思います。

お題は<どちらの祥子さんがお好き?>です。

先日も「閑話休題 8」でご紹介いたしましたが、masterblue様が<シフォンな手触り>という新しいHPを立ち上げられました。
masterblue様独自の世界の<祥子>を描いてくださっている素敵な小説HPで、昨日の新作で4話がアップされています。

当然のことなのですが、こちらはわたくしが描く<祥子 Syouko>ですし、あちらはmasterblue様が描かれる<祥子 Shouko>です。
お話が進む毎に、少しずつ違う部分が増えているような気がいたします。

そこで人気投票を実施します。
皆様がお好きな方の祥子さんを選んでください。
期間は10日間。
<淑やかな彩>スタート1周年に当たる8月24日に、アンケート結果+αを発表したいと思います。

どうかこぞってご参加ください。
皆様の投票をお待ちいたしております♪

蛍火 7

「この後はどうなさるんですか?」
お料理の好みを聞く様に、杉山シェフが田口さんに問いかけます。
視線の先の庭園はすっかり宵闇に沈んでおりました。ところどころに設置された灯籠が、昼間見た回遊路をやさしく照らしているようです。
「お席を変えられるのでしたら、バーカウンターを予約いたしますが。」
流石に気が利くところは、田口さんの後輩です。
「いえ、美味しいワインを頂戴しているので、お酒はもう。せっかくなので蛍のお庭を楽しませていただきますわ。」
「そうですね。なかなか見事ですから、ぜひいらしてください。私達従業員は蛍が綺麗な時間は忙しいものですから、つい見そびれていて。恥ずかしながら、紺屋の白袴って感じです。」
どうぞ、ごゆっくりなさってください・・・呼びにきたサービス・チーフに耳打ちされて、杉山さんはキッチンに戻って行かれました。
フレンチ・ローストの珈琲がコースの最後を心地良く締めてくれたのです。
 
「さぁ、蛍を観に行きましょう。」
田口さんがわたくしの椅子を引いてくださいます。
そうでした。蛍の仄かな明かりが美しく見える時間まで・・・と、お食事を誘っていただいていたのでした。
ゆったりとご一緒した美味しい御食事で、わたくしは半ば満足していたのです。
それに、一つ気がかりがあったのです。
「田口さん、あの・・・お宅はよろしいんですか。せっかくのお休みですのに、ご家族がお待ちになってらっしゃるんじゃありませんの?」
2万坪と言われる庭園の一部とはいえこれから散歩をしようと言うのです。まだ1時間ほどはお時間をいただくことになるでしょう。
「美貴様から何もお聞きではないんですか?」
「ごめんなさい、なにも。」
実際のところ、美貴さん達と田口さんがどれほど親しいのかは、わたくしにはわかりませんでした。
ただ、あの場に・・・とてもプライベートなはずの・・・わたくしとの淫媚な場に田口さんを招き入れたのです。
秘密を共有できるほどの関係だということくらいはわかりました。
「私は独りなんですよ。5年前に離婚しましてね。いまは気ままな一人暮らしです。」
「そうでしたの。申し訳ありません、立ち入ったことをお聞きして。」
「いえいえ、これで安心して蛍の庭へエスコートさせてくださいますか?」
「ええ、それでしたらご一緒させていただきますわ。」
わたくしは差し出された田口さんの左腕に軽く手を添えると、お庭へ向かう扉の外へと歩き出していたのです。
 
庭園に向かう扉を開けたとたん、湿度の高い空気がむっと押し寄せて参りました。夕方に庭園から出てきた時とは格段の差がありました。
お食事をしていた1時間ほどの間に、天候が少しかわっていたのかもしれません。雨が落ちてくる気配はありませんでしたが、月の姿も全く見えなくなっていたのです。
星もない真っ暗な空は、庭園内の足許を照らす灯りさえ薄く霞ませているようです。
気をつけて、ゆっくりと歩みを進めてくださる田口さんのコットン・ジャケットの袖を掴むようにわたくしは腕を絡めておりました。
「あっ・・ほたる・・・」
眼の前をほのかに緑がかった光が・・・1つよぎりました。わたくしは、思わず田口さんの袖を引いてしまったのです。
「どれ?」
最初の蛍火は、田口さんの視線が捉える前にふっと消えてしまいます。
「・・っ・・また・・・」
一つ・・またひとつ。文字通りの蛍光色の筆が雅な仮名文字を描くかの様に動くと・・・ふっと消えてゆくのです。
「きれい・・・」
ため息のように漏らした一言に、田口さんは年端も行かない子供に対する様にやさしく微笑んでくださったのです。
「三重塔から回ろうと思いましたが、気が変わりました。池のほとりの方から歩きましょう。」
分岐した回遊路を、田口さんはまっすぐに歩き出したのです。

蛍火 6

「お皿をお下げしてもよろしいでしょうか。」
サービスの方の声にわたくしは、ピクンと身を震わせてしまいました。
うやうやしく礼をして田口さんのお皿を下げる姿に、わたくしは手を止めたままだった最後のお肉を・・・口にしたのです。
「ごちそうさまでした。とても美味しいお料理でしたわ。」
斜めに揃えられたカトラリーを見て、わたくしのお皿へもサービスの方が手を伸ばされます。

周りの席に他のお客様がいらっしゃる時間になっても、窓に向かってしつらえられた二人きりのテーブルは、閉じられた空間のままでした。田口さんのつくる濃密な空気はどこにも逃れることなく、わたくしを少し息苦しいほどに・・・深く酔わせていたのです。
その淫媚な結界を優しく破ってくださったのは、会話の内容も二人の間の微かな緊張感もご存知ないサービス・スタッフでした。

綺麗に片付けられたテーブルに、今夜のデザートが届けられました。
「恐れ入ります。田口様、いま、シェフがご挨拶にまいります。」
サービス・チーフはトレイを手にそう言い置いて下がって行かれました。
デザートはフルーツのタルトに、まるで薔薇の花のように飴細工をあしらったものでした。柔らかな香りがをテーブルを華やぎに包みます。 
「繊細ね。パティシエも田口さんのご存知の方ですの?」
「いえ、パティシエは最近こちらに来た女性だそうですよ。今日は逢えなかったんですが、このデザートを見ればお客様からの人気が高いことはわかります。」
いまホテルでは、女性のお客様を誘引するのにティーサロンでの午後のデザートタイムを無視することは出来ないのでしょう。こちらの午後のお茶だけを、いただきに来るお客様も多いと聞きます。

「いらっしゃいませ。先輩がこんなに素敵な女性とご一緒だとは思いませんでした。シェフの杉山です。よろしくお願いします。」
田口さんがデザートのことを語り終える前に噂のシェフがいらっしゃいました。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったですわ。」
田口さんとは正反対の・・・細身なのにしなやかな強さを感じさせる男性でした。黙っていたらただの優男にしか見えなかったでしょう。そのきっぱりとした口調が、このレストランを取り仕切るチーフとしての実力を窺わせたのです。
「こちらは、うちのお客様で・・・。」
「加納と申します。よろしくお願いします。」
田口さんは<祥子>としかわたくしの名をご存知なかったはずです。
ご紹介してくださるのに困ってらしたのを、不自然じゃないタイミングでフォローできたかしら・・・。
「加納様。これからは先輩のところだけでなく、ここにもどうぞお越しください。魚料理なら、負けませんから。」
にっこり笑った顔は、明るく自信に満ちていました。
「お魚だけじゃなくて、他のお料理もとても美味しかったわ。時々、お邪魔させていただきますね。」
「杉山君、私のお客様を横取りするのはやめてもらおう。」
田口さんの口調は優しいのに、挑戦的な言葉を吐く後輩にしっかりと釘を刺していることはわかるのです。
「そんなつもりはないですよ。先輩のお客様を横取りするような実力は私にはまだないです。でも、こんなに魅力的なお客様にはぜひもう一度お逢いしたいですからね。だから<お願い>してるんです。」
「恐れ入ります。どちらのお店にもまたお伺いさせて頂きますわ。」
仕方なくわたくしはそうお返事させていただきました。
「それじゃ、その時も私がエスコートしましょう。」
さりげなく田口さんがシェフからわたくしをカードします。
「ええっ、先輩はいいですよぉ。加納様お1人でもどうぞいらしてください。」
「ふふふ、ありがとうございます。」
わたくしは、杉山シェフに微笑みかけながらお答えしたのです。
でも、本当に仲がお宜しいのです。このお二人は。

蛍火 5

「牛リブロースのローストです。」
わたくしたちの前にメインディッシュが運ばれてきました。サービス・チーフは簡単にお料理の説明をすると、グラスにワインを満たしてゆきます。
「美味しそうですね。」
柔らかそうな霜降りのお肉と洋山葵のソースが、見事なコントラストを描いています。新鮮なグリーンサラダも届けられました。
「いただきましょう。」
田口さんは早速にナイフを手にとられたのです。
 
「先ほどシェフはお魚が得意だっておっしゃいましたけれど、お肉もお上手だわ。火の通し具合が絶品ですね。」
香ばしさとジューシーなお肉の味の共存は、あくまで<お魚の方が得意>なだけであることを、あきらかに示していたのです。
舌の上で牛特有の甘みを広げながら・・・蕩けてゆくローストされた牛肉の味は・・・官能的でさえありました。

「これは私見ですけれど、嗜好というのは一定の方向性を持つようですね。」
わたくしの心の中に芽生えた一言を、瞬時に読み取ったかのように・・・田口さんの視線に牡としての熱が宿りはじめていました。
「味の嗜好が極めて似ているということは、女性の好みが似ていることも多いのですよ。両方とも五感を駆使するものですから、当然といえば当然ですね、祥子さん。」
艶っぽいというわけではないはずなのに、田口さんの視線はわたくしの身体の芯を騒がせるのです。
「もう。田口さんたらそんなお話ばっかり。」
わたくしは彼に・・・こんな場だからこそなのですが・・・セクシャルな香りを漂わせる言葉を諌めるように、軽く眉をしかめさえしてみせたのです。
「私の作る料理に感じたのと同じテイストを、ここのシェフの皿に感じてらっしゃるのだとしたら、それは祥子さんが彼好みの女性だということなんですよ。」
逸らしたはずの話題に・・・わたくしは自ら田口さんを引き寄せてしまったようです。
「もう、またそのお話ですの。」
「デザートになればやってくるでしょう。私と一緒の祥子さんを見て、シェフが悔しそうな表情をするのが見物です。」
調理人の先輩として・・・いえ、男の先輩としてのシェフの優越感がそこには滲み出ていました。
「ふふふ、わたくしでは役不足だと思いますわ。」
田口さんは、一流ホテルのグランシェフなのです。
今日はわたくしと同席しているから、こうして気をつかってくださっているのでしょう。
いままでも女優さんやタレントさんなど、本当に素敵な女性とも数多く出逢われているはずですから。

「私は、味覚には忠実な男です。見事な味は自分自身の手で再現できるまで決して忘れる事なんて出来ません。同じ様に、一度お逢いした見事な女性のことも、再びお逢いしてこの手に抱きしめるまで、ずっと忘れることなんて出来ないものなんですよ。」
なんという告白なのでしょうか。
こんな風に・・・仰られたのはもしかしたら高梨さん以来かもしれません。
わたくしは、息を飲んでいるだけで、なんとお答えすべきなのか咄嗟には思いつくことなど出来ませんでした。
「いまも、そのパールを手で奪って祥子さんの手首を真珠の連なりで縛り上げたいと考えているんです。」
わたくしから眼を離すことなく、田口さんは手にした赤ワインのグラスを空けてゆきます。
「私の店ならば、私の作るメインディッシュと引き換えにその黒いトップスを取り上げるのに・・・と、妄想しています。」
そんな・・・お食事をしている席でこの方はそんなことを考えてらっしゃるなんて。
わたくしは思わず、カトラリーの動きを止めてしまいました。
「申し訳ありません。美貴様の想い人でもある祥子さんに、いまお話ししたような事が出来る訳はありません。私の戯れ言だと、忘れてください。」
 
年末のお席の石塚さんとは違って、田口さんはわたくしに指一本触れているわけではないのです。
なのにこの方は、一緒にお食事をしてお話をするだけで・・・ストッキングを破る以上の・・・エロティックなシチュエーションにわたくしを投げ入れたのです。

蛍火 4

「田口さんたら。」
仔鴨胸肉のローストに、オーストラリア産の赤ワインはぴったりでした。
いま、わたくしが頬を火照らせているのは・・・絶対にワインのせい・・なのです。
「胸元の肌を隠しても、その髪をアップにした首筋を見れば雪白の肌を思い出させます。真珠よりも魅力的な曲線を描く肌。素敵でしたからね。」
首筋に無防備に揺れる後れ毛さえ、田口さんの記憶を刺激してしまっているのでしょうか。
「もう、恥ずかしいですわ。お忘れになってくださいな。」
あの夜、メインダイニングでわたくしが最後に晒してしまった姿を、この方は脳裏に描いているのでしょうか。こんな風にお食事をしながら。
手を伸ばせば触れられる隣の席に案内されたことに、最初わたくしは緊張しておりました。
でも、いまでは正面から田口さんの視線に正面から晒されない分だけ・・・ほっとしてしたのです。
 
三品目のお魚のプレートが運ばれてまいりました。
「ここのシェフは、私の好みの女性にいつも横恋慕してましたからね。あの石塚様や美貴様が夢中になるほどの・・・いえ、私自身が忘れられない祥子さんは、彼には目の毒の筈です。」
皿の上にはオマール海老が美味しそうに横たわっていました。
「この海老も美味しいですね。流石に田口さんの後輩さんですこと。」
グリルで味を凝縮した野菜が、ローストした海老の濃厚な味と上手にバランスをとっています。お料理の話へ話題を振る事で・・・少しでもわたくし自身のことからお話が逸らせればと願ったのです。
「相変わらず、いい腕です。彼は魚が得意なんですよ。」
まるで我が事のようにうれしそうにお話になるのです。
「そうなのですか。田口さんはお肉がお上手だから、お二人が一緒なら最高の贅沢ができそうですね。」
「ははは、確かにそうですね。そう言えば、前回は私の魚料理を召し上がっていただいてないんですね。この次いらしたときには、これに負けないくらいの魚料理をお出ししましょう。」
プロの負けん気とでもいうのでしょうか。
プライドを滲ませた田口さんの表情は男らしくて生き生きとして見えます。お仕事に充実されている男性は、本当に素敵です。
「楽しみですこと。でも、美貴さんはお忙しいみたいですからなかなかお伺いできないかもしれません。」 
「祥子さんでしたら、お1人でもお席をきちんと用意しておきます。個室がよろしければVIPルームをご用意しますし。」
ホテルのメインダイニングに相応しいあのVIPルームで、わたくしは4人の男性に責められた後の身繕いを・・・あの夜したのです。
「ふふふ、1人でうかがってVIPルームなんて申し訳ないわ。そっと、空いているお席でひっそり美味しく頂戴することにします。」
あまりに・・・淫らな記憶が未だに、あのメインダイニングを再び訪れる勇気を、わたくしに持たせてはくれなかったのです。
 
「最近は、美貴様達とはお逢いになってないのですか?」
「ええ、あれ以来どなたともお逢いしてないんですよ。田口さんのところにはいらしてるのでしょう。」
皆さんお忙しいのでしょう。
特にお誘いもないままに半年が過ぎていました。
あのバーに伺えば簡単にお逢いする事も出来たのでしょうけれど、敢えてお伺いすることもいたしませんでした。
「そうでしたか。ええ、美貴様と山崎様は時々いらしてくださいます。石塚様はお1人で一度だけいらしたでしょうか。なかなかゆっくりお席に伺えないのでお話することもできなくて。」
田口さんもきっとお忙しい日々を過ごしていらっしゃるのでしょう。
あれだけのお味をコンスタントに提供なさるのですから、お客様は引きも切らないはずです。
「祥子さんのことはずっと気になっていたのですけれど、あの方達に私からは切り出しにくくて。今日お逢い出来て本当によかったです。」
ははは、笑いながらワイングラスを空けられます。
「今日お逢いしたことをお話ししたら、あの方達に悔しがられるかもしれませんね。」
「ふふふ、そうだとよろしいのですけれど。」
美貴さん、山崎さん、石塚さん、そして望月さん。あの方達のことが懐かしく思い出されました。ウィットに富んだあの方達との会話を久しぶりに楽しみたくなりました。