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しん・・・と

祈るように
願うように
嘆くように
請うように
慕うように

いま ここにいます

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泣く

大きな声を上げて泣いたら
ぼろぼろと大粒の涙をこぼしたら
楽になれるのだろうか

爆発しそうな心が
わたくしをそう唆す

泣いたからとて
どこからか天使の手が
助けてくれるわけではない
涙を流したからとて
今の状況が劇的に変わるわけでもない

泣いて嘆いて悲しむだけで
何かが変わってくれるなら・・・

あり得ない!
と 理性が語り掛ける

そして今日も
自分の中の衝動をのみ込む
淡々と起きている事態を処理するために

そして思う
「わたくしはいつ涙を流せるのだろうか」と

声を・・・

声を掛けようか・・・
この5分間で何度同じことを心の中でつぶやいたろうか

すっと背筋の伸びた後ろ姿
滑らかな黒い髪
掻きあげられた髪の向こうに見えた
白い頬とメガネ
左手の文庫本

きっとあの女性だ・・・と思う
電車の中で背中合わせにつり革につかまっているのではなく
向かい合わせに座っていたなら
文庫本から上がった視線を捕まえるだけでいい
あの女性が一人ではなく
だれか友人とでも一緒なら
あの深く響く声だけで確信できたに違いない

声を掛けようか・・・
いや、そもそも私を憶えているだろうか?
憶えていてくれるはず
なんて自惚れた自信なんて持てるはずもない

出会ったのはビジネスの場だった
彼女は時折メガネを外しながら
落ち着いた声で私の会社が投げかける
厳しい条件にひとつひとつ答えてくれた
商談は1時間
名刺交換もした
あの時、私も2〜3質問を投げかけた
彼女は私の目をみてきちんと答えてくれた
ビジネスパートナーとしてという以上に
彼女という人間に好感を持った
飾らない人柄、ふと浮かべる微笑み
大きいわけではないのに心の奥まで響く声
高くもなく低くもなく
澄んで美しい音色が連なる言葉

声を掛けようか・・・
あの声を
私にだけ届けられる声を独り占めしたくなる

恋なのだろうか
いや・・・

何度目かの車両のブレーキがかかる衝撃がくる
そういえばあの女性の住まいは
この路線にあるのだろうか?
そうなら嬉しい偶然だ
私の通勤路線もこれだから

そうだ、声を掛けよう

「失礼します」
記憶にある凛とした声が小さく響く
振り返る前に背中の気配が動いた

いつの間にか車両のドアが締まっていた


灰紬のひと

竹の生い茂るこの石塀はどこまで続いているのかしら
散り敷く銀杏の鮮やかな黄色の葉が
まるで無邪気なペルシャ猫のように足許にまとい付く
メールの説明通りならあとわずかのはず
いつもなら必ず宿まで迎えに来てくれるはずの方達が
わたくしを呼び出すのも珍しいこと

あと少し・・・
「失礼します。おひとりですか?」
向かいからいらした男性は着物姿だった
「いいえ、待ち合わせをしておりますの」
「お時間があればお茶でもいかがですか?」
悪びれた風も媚びた風もない
こんなに様になる着物の着こなし
どこの誰にでもできるものではないはず
「申し訳ありません」
「貴女の様な方を一人で歩かせて
   声を掛けるなという方が無理だ」
「ご冗談を ふふふ」
こういう時手首に時計がないことを悔やむ
時間がないという合図に使えるのに
「失礼させていただきます」
「いや・・・」
目の前の男性の手が懐に入ったところで
わたくしの肩に手が置かれた

「遅かったですね どうされました?」
「お待たせしてごめんなさい」
石塚さんの目が着物の男性を捉える
「私の連れがなにか失礼でもいたしましたか?」
「いや、あまりに素敵な方だったので
 お声を掛けてしまいました。
 お急ぎのようでしたので、
 自己紹介だけでもと思いまして。
             初瀬ともうします」
差し出されたのは
上質の和紙に墨の際立った何の肩書きもない名刺
「わたくしプライベートなので名刺もなくて」
「また、どこかでお逢いするでしょう。
 その時まで憶えていていただければうれしいです」
わたくしともう一度視線を絡ませ
石塚さんに黙礼をして
来た時と同じように男性はすっと立ち去った

「やっぱり迎えに行けばよかった」
石塚さんの肩に置かれた手が熱い
「なんでもありませんわ」
「なんでもないことはない
 祥子さんを目の前で攫われるところだった」
「もう、考え過ぎです」
腕にまわされた手は
わたくしから一瞬でも離れないと言っているよう
「まさか、ご存知の方ですの?
 先ほどの着物の方」
「いいえ」
「だったら・・・」
「今夜は、いや東京に戻るまで一緒です」
「あら、でも・・・」
「ひとりになんて出来ない」
「わたくしが初対面の方についてゆくと思って?」
「思わない」
そうおっしゃったままふっつりと黙り込んだ

穏やかな午後
しんとした空気
届けられた友禅のしっとりとした着心地が
またこの街に来たことを教えてくれる
でもこの街が
いつまでわたくしの
お忍びの街でいてくれるのか・・・
少し不安になった

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