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唐紅 1

1週間をまるまる忙殺されたプレゼンテーションがやっと終わったのは、週末の4時を回ったころでした。
ほとんど今朝方までかかって企画書を仕上げたのです。
一睡もしないままでシャワーを浴びて・・・白いシャツと黒のタイトスカートのスーツ、ブラウスから透けないように白のレースのランジェリー、開いたシャツの襟元にパールをあしらった隙のない装いに着替える為だけに、今朝方一度帰宅をしただけでした。
 
緊張を強いられた午後のプレゼンが終わり、いつものようにプレゼンチームのメンバーと共に、いつものようにオフィスに戻れば良かったのかもしれません。
でもその日はまっすぐに帰る気持ちにはどうしてもなれなかったのです。
その場にひとり残ったわたくしは、疲れ切った身体と心をほんの少し癒してから帰ろう・・・そう思っただけでした。
 
クライアントのオフィスは、あの3人の男性と出会ったバーからほんのわずかの場所にありました。
マッカランの25年と並んでバーカウンターにあったポール・ジローのボトルが、わたくしの心をよぎります。
あの時は・・・日付がかわるほどに遅い時間でした。
いまのこの時間なら多忙な彼らと逢うことなんてないでしょう。
たった1杯だけブランデーを楽しむだけ・・・それならきっと大丈夫よ。
バーのスタッフはあのときのことは何もしらないのだから。
心を決めて、夕闇が薄く帳をおろしはじめた時間に、あのバーのドアに手をかけたのです。
 
「こんな早い時間から、よろしいかしら?」
あの夜と違い、カウンターにはショートヘアがキュートな女性のバーテンダーが独り開店の準備をしていました。
「もちろんです、いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」 
小柄な身体をかがめてカウンターをくぐると、わたくしを先日と同じスツールに案内します。
「ありがとう」 
あの夜には見かけなかったスタッフなのに・・・どうして。
ほんの少しのデジャビュを感じながら引かれた椅子に腰掛けます。
きびきびとした動作でカウンターに戻ると、少し熱めのおしぼりを差し出してくれるのです。
「ほっとするわ」 
手のひらに広がる暖かさに先ほどの違和感は溶けてしまいました。
「なににいたしますか?」 
「ポール・ジローをお願い」 
香り高い限定生産のブランデーをオーダーしました。
細身の独特のシルエットのボトルの中には、琥珀の液体がとろりと横たわっていました。
「お客様は美味しいお酒をご存知ですね」 
醸造酒に合うドライフルーツの入った小皿を差し出します。
「そんなことないのよ。ふふふ」 
彼女の趣味の良いサイドディッシュのセレクトに感心したわたくしの目の前に差し出されたのは・・・マムの繊細な泡が踊るシャンパングラスでした。
「これは?」 
また、あのデジャビュが蘇ります。
「お疲れみたいですから、こちらで軽く喉を潤されてはいかがですか」 
ショートヘアの女性バーテンダーはにっこりと微笑むのです。
邪気のないその微笑みを前にして、馥郁たる香りを放つグラスを疲れた心は拒否することができませんでした。
「ありがとう、遠慮なくいただくわ」 
グラスに付けた唇を愛撫するかのように繊細な泡がまといつきます。
ためらいながら一口目を口にしたにも関わらず、瞬く間にはしたなくも白い喉そらして・・・2度、3度とシャンパンを味わってしまいました。
 
カウンタートップにはバカラのブランデーグラスが用意されました。
繊細な彫りの美しいクリスタルグラスが、店内の間接照明をはじいて煌めいていました。
わたくしがシャンパンを飲み干すタイミングに合わせてブランデーの栓が開けられます。
強くはないけれど柔らかな芳香が店内に漂いはじめました。
コッック・・・コッック・・・コッック・・・ 
ボトルから注がれる濃度を持った液体独特の音すらも、新たな欲望を誘うのです。
「おまたせいたしました。ポール・ジローです」 
グラスの中のブランデーの波紋がおさまってから、わたくしの前にグラスを滑らせます。
「ありがとう」 
シャンパンの名残をミネラルウォーターで程よく中和してからでなければ、ブランデーグラスに手を伸ばす気にはなれませんでした。
繊細なのに適度な重さのあるバカラのステアをつまみ、唇に持ってゆきます。
ほんの少し傾けるだけで唇に流れ込む熱い香気が、ポール・ジロー独特の柔らかな存在感を伝えはじめます。
いちじくのドライフルーツをひと齧り・・・ポール・ジローを一口。
 
女性のバーテンダーにありがちな饒舌さは彼女にはありませんでした。
わたくしがブランデーの香気に酔っているうちに少しだけ奥に行き、戻って来た時にはイズニーのカマンベールをカットしたものを手にしていました。
「ウォッシュのいいものがなくて、カマンベールですが。お一つどうぞ」 
口に含むとフランスの草原の香りのするカマンベールは、新たなマリアージュを楽しませてくれるのです。
 
それでも、カウンターに座っていたのはわずかに30分ほどでしょうか。
「ごちそうさま。締めてちょうだい」 
カウンターをくぐった女性バーテンダーはわたくしをレジスターではなく、あの狭くて急な登りの階段を案内するのです。
お会計は?と聞くわたくしに・・・バーテンダーの女性が囁いたのです。
「迎えのお車が待っております」 
「えっ」 
この階段から外に出るしか選択肢がない・・・たった2杯のアルコールに、以前の夜のデジャビュが酔いを重ねます。
「祥子様のお会計はもう承っております。すぐ正面にお車を止めてお待ちです。どうぞいらしてください」 
それ以上の質問を許さない硬質な微笑みを浮かべる彼女に、わたくしは見送られるしかありませんでした。
狭く・急な階段を上がって、わたくしはしばらく躊躇した後・・・諦めてドアに手を掛けました。
力を加える間もなくすっと開いたドアの先にはあの夜の運転手が立っておりました。
「祥子様お待ちしておりました。車へどうぞ」 
礼を失しないようにわたくしに手を添えて車まで導くのです。
「どうぞこちらに」 
セルシオ独特の適度な重みを感じさせるドアの開閉音が響くと、車の中にはあの夜の男性が座っておりました。
 
「ひさしぶりですね。祥子さん」 
あの夜わたくしのアナル・バージンを奪った男性です。
今夜もゼニアのチャコールグレーのスーツを着こなして、リラックスした雰囲気で後部座席におさまっていました。
「どうして・・・」 
どう質問をしていいのかわからないわたくしはその一言を口にするのがやっとでした。
「質問に答える前に。祥子さんの明日の予定は?」 
厳しささえ感じさせる太く硬い男らしい声でした。
「ひさしぶりの休日ですわ」 
どう答えるのが正解なのか・・・わからないままに事実を告げてしまいます。
「よかった。それじゃ予定通り行ってくれ」 
運転手に声を掛けると車は静かに首都高速のランプに向かいました。
 
「どこからお話すればいいでしょうか。あの店は僕の会社の持ち物なんですよ。」 
ほとんど同世代だと思っていた育ちの良い男性が口にしたのは、半分は予想されていた答えでした。
「あなたにもう一度逢いたくてね。万一のチャンスに掛けて店のものに頼んでおいたんです」 
あの朝、ホテルのエクゼクティブフロアの廊下にいるわたくしの写真を差し出すんです。
「こんなものを・・・いつ」 
「ルームサービスに頼んでおいたんですよ。あなたは祥子という名前とオペラピンクのランジェリーしか手がかりを残してくれなかったから」 
たしかにあの日、運転手とエレベーターを待つ間廊下でルームサービスのスタッフとすれ違ったことを思い出しました。
「2度と逢えなくても仕方ない、そう思ってました。でもどうしても諦められなくてね」 
長身なのにそうは見せないバランスの良いスタイルと、声同様に甘さのない顔立ちにふと男の色気が立ち上りました。
 
「彼に伝言を頼んだつもりだったんだが、聞かなかったですか?」 
運転手を目で指し示して男性はそういうのです。
「ええ、確かにうかがいました。でもこんな早いお時間にはご都合はつかないと思っておりましたから」 
「だからほんの30分で立ち去ろうとしたんですね」 
わたくしの言い訳は聞かない、たたみかけるような物言いはそう伝えてきました。
「祥子さんは伝言を聞いていて、またあの店に来て下さった。これからご一緒することになるのもご承知の上でね」 
落ち着いた声に、有無を言わせない自信を滲ませるのです。

そんなつもりはございません・・・そう返事を返すことができませんでした。
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