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日曜の憂鬱

まだ空気の澄んでいた梅雨前の日曜日。
新しいデザイナーとの打合せにわたくしははじめての住宅街に足を踏み入れていました。
おもたせで用意した焼きたてのペストリーでブランチを取りながらの打合せは順調な盛り上がりと共に終了し、わたくしは予定外の時間を持て余していました。
仕事に戻るには遅過ぎ、このままいつもの仕事終わりのくつろぎのひとときを過ごすにはあまりに早すぎる午後・・・
土地勘のない住宅街で、ふと鼻先を流れた香りに心惹かれたのです。

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それはわたくしがただ1つだけ持っている香水と同じティーローズ系の香りでした。
競うように手入れをされた建て売り住宅の壁を這うつるばらの香りは、カーテンに映る人影の楽しげな様子とともに『わたしたちは幸せなのよ』と声高に主張をしているようにさえ感じられたのです。
透き通るような涼やかな空気をとりいれようとわずかに開いた窓からこぼれる笑い声とイージーリスニング。
その曲が、彼の好きなジャズと同じだと気づいたとき、わたくしの背中を冷たいものが流れたのです。

そういえば・・・この街は彼が住む街でした。
最愛のお嬢様と奥様との幸せな家庭のある街。
公休日にはたとえ前日にどれほど家庭で不愉快なことがあっても、必ず自宅で家族と休日を過ごす彼の家。
きっと・・・独りでいるわたくしのことなど、玄関のドアを開けた途端に記憶から綺麗になくなってしまうであろう・・・彼と家族のプライベートな空間。
今日も・・・きっと・・・。

わたくしの中で、最も忌避すべき感情が、周囲の情景となんの関わりもなく湧き上がってくるのを止める事ができなくなりそうでした。

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彼の・・・わたくしと居られない時の彼のことは、出来るだけ知らないようにと努めてきました。
もちろん、二人の関係を知らない彼のスタッフや共通の友人たちから聞かされる様々な情報をシャットダウンすることはできませんでしたが、極力詳細からは逃げていたのです。
彼の幸せの源が家庭にあるなら、家庭ごと彼を愛そう。
彼との関係を決めた時わたくし自身に誓ったことでした。

知らないことは、ありえないこと。
いたづらに知ってもそこには<嫉妬>という醜い感情しか存在しえないからです。

ただ、わたくしが知っていたのは彼の自宅の最寄り駅の名前だけでした。
つる薔薇の絡まる家が彼の家である可能性なんて何万分の1でしかないのです。
仮にあの家が彼の家だと知ったところで、何が変わるの??

足早に駅を目指したわたくしは、横浜の中心から少し離れた緑あふれる場所にある外人墓地へ向かう事に決めたのです。

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そこは、日本や極東で戦死した英国人のための墓地です。
広々とした芝生に、定形の墓碑が並び、その墓碑と墓碑の間には葬られた魂たちが故国を懐かしめるようにと様々な薔薇が植えられていたのです。

「あと1時間で閉めるけどいいかい?」
「はい、少しだけ散歩させてください。」
墓地の管理人をされているシルバーグレーのご夫婦は、もう何年も年をとるのを忘れていらっしゃるように、数年前に訪れた時と同じ笑顔でわたくしを迎えてくださいました。
「ちゃんと綺麗な時期を外さないで足を運んでくれてうれしいよ。いってらっしゃい。」
おばあさまの優しい声に送られてわたくしは芝生へと一歩踏み出したのです。

日々丹精された薔薇は美しく花を咲かせていました。

なまめかしく花びらを広げた薔薇は・・・彼とのはじめての口づけの夜を思い出させました。
「祥子はキスが上手だね」
欲情にかすれた声で彼が告げたひとことに 溺れちゃだめよ・・・と返したのは、わたくしでした。

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「しっとりと吸い付く様な肌を夢に見たよ」
家族と週末を過ごした彼が、わたくしを抱いて星の様にキスマークを残した夜・・・わたくしは咲き誇り・咲き乱れるほどに色濃く薫り高くなるイングリッシュローズのようにはしたなく乱れたのです。
彼の溢れるほどの精を浴びて、気を失いそうになりながら。

「もう妻は抱けないんだ。抱いても祥子を思い出すとあまりの違いに萎える。その度に俺は自分の中の男に自信を亡くす。」
素肌のままのわたくしを腕のなかにかき抱いて、黒髪を指先で解きながら彼はそう言ったのではなかったか。
「だから、祥子を抱くときはいつも少し怖い。もしかして抱けなかったらどうしようと・・・思う。」
「でも、そんなことは一度もないでしょう? 今夜もさっき二人で逝ったとは思えないほどもうこんなに元気なのに。」
「ははは そうだな。だから祥子を抱くと俺は男に戻れるんだ。自分に自信が取り戻せる。」
「もう♪ なにも心配なんていらないのに。」
「そうだな・・」
抱きしめた身体毎裏返されて、まだ彼の精をとどめたままの蜜壷を愛されたのは・・・いつのことだったかしら。

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「こんな隠れ家みたいなライブ、俺は好きだよ。」
雨の中、彼の傘にふたりで入って駆け込んだ麻布十番のジャズライブ。
わたくしの知り合いが多いその会場では、指を絡める事さえしなかったけど・・・同じ音に感じ、おなじアレンジに微笑み合い、宝石のような瞬間を共有したのは他の誰でもないわたくしではなかったろうか。

「好きな音楽が一緒だとこんなに楽しめるね。」
「そうね。」
「祥子と好みが一緒なのは、音楽だろう、酒だろう、日本画もそうだったよな。花もだよな。それと・・・コーヒーも、あと・・・」
「数え上げてたら、セカンドステージが始まっちゃうわ。」
「ははは そうだな」
わたくしの前のワイングラスにつと手を伸ばし、こくりと一口味わった彼は瞳を閉じて濃いボルドーを味わうとそのまま呟いたのです。
「祥子と一緒だから好きになっていくのかもしれないな。」

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ほとんど誰も訪れる人の居ない外人墓地を薔薇を愛でながら歩きながら、彼と出逢う事で知る事ができた花束のような言葉と想いを・・・思い出していたのです。
彼と出逢うことをしなければ、味わうことのなかった<嫉妬>。
彼と出逢わなければ、知る事のなかった優しい<想い>。
どちらも知らずにいる人生と、どちらもを知ってしまう人生。
そのどちらもを知った今のわたくしに、過去を遡って彼に出逢った事を後悔する?と聞いたら・・・答えはNO!でした。

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「ゆっくりさせてあげられなくて申し訳ないね。」
「いえ、わたしこそ遅い時間にお邪魔して。ありがとうございました。」
シンプルな錬鉄のゲートを閉めようとするおじいさまは優しい声でわたくしを送り出してくださったのです。
「またお邪魔させてください。失礼します。」
「あっ 待って。よかったらこれ持って行って。」
おばあさまが差し出してくださったのは、紫の薔薇を英字新聞にくるんだシンプルな花束でした。
「いいんですか?」
「花好きでしょう。ここでもまだ2株しかないけど今日剪定したから。」
「その花はいま世界で一番安定した青薔薇なんだそうだ。奇跡が起きるという花言葉だそうだよ。」
「ありがとうございます。いい香り いただきます。」
やさしくうなずく二人に見送られ、憂鬱だった日曜日がすっかりいつものわたくしの時間に戻っていることを確認できたのです。
「奇跡が起きたら、ご報告に来ますね。」
「また元気で顔を見せておくれ。」
「ありがとうございます。」

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ベッドサイドには、いまあの紫の薔薇が微笑むように開いています。
わたくしにとっての奇跡とはいったい何なのでしょうか・・・。

今夜は、独りの優しい夜を取り戻せた奇跡に感謝して眠りにつこうと思います。
おやすみなさい。 コメント
7月だから七夕で、☆でショートストーリーが…と
勝手に期待してました(笑)。

咲きっぷりが見事な薔薇が、祥子さんの表情を
演じているのですね。

参考までに…

男はそんなにうまく切り替えできません。
もちろん口には出せませんが、心の中で想って
います、考えています。


2008/07/05 21:55| URL | dreamcat  [Edit]
お気に入りの銀座のバーから戻った所です。
来月で10周年を迎えるという、地下にひっそり構えるそこ。
お勉強熱心な、まだ壮年のマスターと、シングルモルトから日本酒までのお酒談義。
普段ブラントンが好きな私への、今日のお勧めはエルマーTリーと、ベーシルへイデン。どちらも薫り高くて。
”バーボンを好む人は、健康で、元気が良いんですよ”との事。
きっと、そうなのかもしれません。色々飲んでも、何故か、全く酔わずで。
ふと、思い出したのが祥子さんの事。
こんな場所で、一緒にお酒の話が出来たら楽しそう…なんて。
そして、ここにお邪魔したら、鮮やかな薔薇への更新。嬉しくなりました。

確かに、私と一緒じゃない時の彼の事、極力考えないように…とはずっと、思って来た事。
私の隣にいてくれるときの顔、こそ、真実であると信じて…。ですね。

2008/07/06 01:32| URL | るり  [Edit]
美しさ故
美しさを愛でるにとどまらず手に取ると棘に痛い思いをする。世間の倫理から外れた恋は薔薇の花の如しといったところでしょうか

嫉妬をするという感情は自分の格が相手より下である事の証だと考えます。
仰るとおり、何も知らなければその感情を味あわなくて済みます。しかし、私は棘に血を流す事度々であろうとも、あの方が今、何をなさり、何を感じ、何をお考えなのか出来うる限り知りたいと思っています。


2008/07/06 13:55| URL | かずみ  [Edit]
ありがとうございました
昨晩アップして、一夜明けてこちらに来てみましたら早速コメントを頂戴していて。
思わぬプレゼントをいただいたようにとても嬉しかったです。

dreamcat様
「星の語り」ですか。
なかなかそれを語れるほどのお写真が撮れなくて って、写真ありきじゃないだろうと言われてしまいそうですが(笑)
<星>はわたくしにとっては難物なお題です。
その秘密はいつかこちらで。

男性のそのお気持ちは・・・きっとそうなのでしょうね。
でもだからこそ、家族や奥様に対して抱くうしろめたさの原因になりはしないかといらぬ心配もしてしまうのです。


るり様
よろしいですね♪
素敵なバーでるり様と二人、いろいろなお話で時間を忘れてしまいそうです。
いつかそんなお時間を一緒に過ごせるといいですね。
本気で楽しみです。

わたくしは、早々に家庭に見切りを付けたひどい女なので(笑)
家庭への責任感でがんじがらめになる・どんなに不快でも・何年も我慢をしても・・・といった想いは理解しきれないものもあります。
そんなに苦しければやり直せばいいのに、と思ってしまいます。それが決して簡単なことではないことは我が身で充分に解っている上でですが・・・。

だからこそ、そんな苦しい家庭でも帰ろうとする彼の本当の愛情がどこにあるのか いつも見失いそうになり、迷ってしまいます。
そんなことを言っても詮無いことなのですけれど。
答えはどこにあるのでしょうね。


かずみ様
苦しい恋ときっと人は言うのでしょうね。
それでも想ってしまう愛の純度を、いまは信じたいと思います。
知りたいと思う、知る事の喜びと苦しみと、それを全て手に入れた上で取り乱す事のないだけの自らの器をいつか手に入れたいものです。


今回選ばせていただいた薔薇のお写真は、<花言葉>を少し意識しております。
黄色の薔薇・・・嫉妬・ゆらぐ愛
一重の薔薇・・・清純な愛・静かな愛と敬意
ピンクの薔薇・・上品・気品・しとやか
野薔薇・・・・・やさしい心
青い薔薇・・・・奇跡

もっと詳しい・適切な花言葉をご存知の方がいらっしゃいましたらぜひご教授くださいませ。

2008/07/06 16:11| URL | 祥子  [Edit]
花言葉
詳しくはありませんが・・・・。

(帯紅)「私を射止めて!」
(赤)「愛情」「模範」「貞節」「情熱」
(白)「尊敬」「私はあなたにふさわしい」
(朱赤)「愛情」
(薄オレンジ)「無邪気」「さわやか」
(蕾)「愛の告白」
(葉) 「希望あり、がんばれ」
(トゲ)「不幸中の幸い」
(ミニバラ)「無意識の美」
(バーガディー種)「気づかない美」
(ヨーク・アンド・ランカスター種)「戦い」

紫は誇り・気品・上品・気まぐれな美しさだそうです。

一緒に住んでいても知らない時間があります。
想う人の知らない時間のことを考え眠れない夜を過ごす事も・・・・。
すべての時間を含めて想う人を愛するって本当に難しい事ですね。

最後のお写真がとても素敵です。
昨日から30度を越える真夏日。
皆様お体にご自愛下さいませ。


2008/07/06 19:02| URL | 桜草  [Edit]
一編の詩
 祥子様
 美しい、一編の詩を思わせる作品をありがとうございました。
 いつもこちらにお邪魔している私は、今回アップされてかなり早い時間に今回の文章を読ませていただきました。
 美しい詩や抒情歌を思わせる作品に、ふさわしいと思えるコメントが思い浮かばなくて、何度かお邪魔している間に、皆様素晴らしいコメントをお書きになって、ますます投稿しづらくなっていました。
 なかなかうまく言葉にできずに、思いついた言葉が
 「きれいな薔薇には棘がある」
 「汚い花にも棘がある」(笑)
こんな言葉だけでした。
 
 話題を変えて、祥子様は「彼の家庭も含めて愛していこう」という言葉をおっしゃっていますが、我々男性にはなかなかこんな言葉は言えません。
 愛しているなら、彼女の家庭を壊してまでも彼女を手に入れよう、そう思ってしまいます。
 それが、彼女にとって幸せなのか、不幸なのか……。
 きっと不幸なのでしょう。
 そんなことを考えてしまいました。

 今回のような、祥子様の内面をさらけ出す、作品も素敵でした。

2008/07/06 20:15| URL | オーバーチュア  [Edit]
ありがとうございました2
本格的に暑くなってまいりましたね。
都心で33℃を記録した昨日・一昨日は梅雨明けが待ち遠しくなりました。

桜草様
詳しい花言葉ありがとうございます。
イングランドではもっとたくさんの花言葉があるようなのですが・・・それほどの見分けが出来るほどの眼もないのがお恥ずかしい限りです。

そして全てを知りたくて・知りたくなくて・知られたくなくて・・・
わたくし自身の欲深さを思わず描いてしまったような今回の物語でした。

オーバーチュア様
薔薇の棘ばかりが眼についてしまったようで・・・申し訳ございません。
甘い香りと蜜ばかりのような恋だけを楽しむのには、わたくしたちは少し年をとり過ぎてしまったのでしょうかしらね(笑)

奪う恋も男性ならではの力強さの現れの様な気がいたします。
オーバーチュア様の様な方に奪われるのは・・・女冥利なのだろうなと、少し羨ましく思ってしまいました。

2008/07/14 13:50| URL | 祥子  [Edit]
感謝
写真も文章も、こんな素敵なブログを発見できたあたしは幸せです
それしか言えません…


2008/09/23 03:11| URL | ラリエット  [Edit]
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