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第九 合唱付き 1

12月の末。雪すらも舞いそうな凛と冷たい空気が、ミンクのコートに包まれたわたくしを取り囲むのです。
もう午後には雪空が宵闇のような暗がりを作り出していたのです。
いまは18時。コンサートホールへ向かう人波の中で・・・わたくしは思いがけない男性の姿を見かけた様に思ったのです。
 
 
今夜は<第九>を聴きにここまで来たのです。
この交響楽団は毎年・・・わたくしのバースデーに決まった様に<第九>を公演しているのです。独りになってからずっと、わたくしは自分へのバースデープレゼントとご褒美のつもりで席をリザーブしているのです。
年末のひと時、慌ただしさを忘れる様に贅沢な時間に身を浸すためでした。
 
最近はクラシック・コンサートも随分カジュアルになってきているようです。
特に第九は合唱付きということもあって 合唱に参加される方のご家族が身内の晴れ姿を楽しみに、にぎやかな会話を繰り広げながらいらしているのが特徴でもあるのです。
その中で一人きり入って左側のクロークに進むわたくしは、もしかしたら少し珍しい存在だったのかもしれません。
ミドル丈のミンクのコートをコンサートホールのスタッフに預け、緑の札を受け取ります。黒のバッグのサイドポケットに札を仕舞うと、ゆっくりと古いホールの佇まいを楽しむ様にロビーを横切ってゆきました。
 
今夜はミドルヒールの黒のパンプスに黒のガーターストッキング。
ベルベット素材のプリーツスカートに、ビーズとスパンコールをちりばめた黒のツインニットを組み合わせたエレガントな雰囲気のコーディネイトにしてみました。
本来でしたら夜の公演です、ヨーロッパの劇場でしたらドレスで訪れるのがルールなのです。が、日本ではなかなかそうはまいりませんわね。
前身頃を同色のビーズとスパンコールで彩るニットは、華やかに控えめな存在感を放っていました。
ツインニットの肩には軽く巻いた黒髪がふわりと乗っています。

ロビーを歩いているうちにあることにも気がつきました。
わたくしとすれ違う何人かの男性の視線が、ふっ・・と止まるのです。今夜はさほど目を引くような姿ではなかったはずです。なのになぜ?
ただ一カ所・・・わたくしのGカップの胸の隆起を光りの乱反射で強調してしまうことにそのときはじめて気づいたのです。

ケリータイプのコンパクトなハンドバッグだけを持って、指定された席に向かいます。
会場の中央より少し前。センターブロックの右端・コントラバスを正面に見つめられる場所にわたくしの席がありました。
丁度通路を挟んで、階段状に客席が一段高くなっているポイントでした。
右手の通路の向こう、ライトブロックの端に三脚にセットされたカメラが置いてあったのです。
広報のカメラなのでしょうか? それとも・・・今日の合唱に参加する一般の方へのサービスなのでしょうか。
コンサート会場では滅多に見かけないその機材の持ち主に、わたくしは興味をそそられたのです。
 
今日は満席のようです。なのにカメラのあるライトブロックからの3列だけはお客様がいらっしゃいませんでした。
開演5分前のベルが鳴りました。
そこにようやく腕章をした二人の男性がお見えになったのです。
「あっ・・・」 
そのうちの1人はわたくしが存じ上げている方でした。
ノースフェィスのジャケット、チノパン、180cmを超える身長・・・パリに行くと言っていた・・・美術館で出会ったあのカメラマンの男性だったのです。
わたくしが気づくのと、男性が気づいたのはほぼ同じころだったようです。
同行している若いスタッフと話しながら近づいてきた男性は、わたくしをじっと見つめると視線を外さずに席まで来て、座る前に会釈を返してきたのです。
あの時の記憶に残っている・・わたくしが逆らうことのできない声で・・・一緒にいるスタッフにいくつか指示をするとカメラを手にしました。
男性から渡された名刺に書かれていたのは、アート系では評価の高いフォトグラファーの名前だったのです、
この舞台を撮る・・彼の作品として・・・それが今日の彼の仕事なのでしょう。
数ヶ月ぶりに見る男性の、あの日と変わらない・真剣な眼差しをファインダーに向ける横顔を見つめるうちに上演のベルが響いたのです。
 
第九の公演は例年通り小品を1曲と第九の第二楽章までの一部と、第九の第三楽章・第四楽章の二部構成になっておりました。
圧倒的なフルオーケストラの響きは否応なくわたくしの思考を虜にしてゆきました。
特に今年のエグモントは好きな曲の一つだったからです。
そして・・・第九へ。
プログラムは流れる様に進みました。
少し悲しみや苦しささえ感じさせるような第一・第二楽章の音のシャワーを浴び、会場の拍手にほぉっ・・とため息をつくと・・客席が明るくなったのです。
第三楽章からクライマックスへ向けてひと時の休憩の時間です。
通路を挟んだ席でアシスタントに指示をしている男性を横目にみながら、わたくしは席を立ちました。
 
ロビーは人で溢れていました。
第九の時には、ロビーではホテルからのケータリングサービスが用意されています。
いつものようにグラスシャンパンンをいただいて、人で埋まるソファーではなく窓から外庭が見えるガラス張りの窓辺へ向かいました。
今夜はよほど気温が下がっているのでしょう。
ガラスは凍り、その側にいるだけですっと冷えてゆくのが解るほどでした。
その時のわたくしには・・・ほんの少し口にしたシャンパンの酔いと、心地よい演奏への興奮と期待を程よくクールダウンさせてくれるように感じたのです。
広がる庭に立ち木の配された庭は今宵はライトアップで幻想的な様子を示しておりました。時折吹いているであろう風が梢を揺らしてゆきます。
もう一口・・・シャンパンを口にした時です。
「久しぶり。元気なようだね」 
あの男性の声がしたのです。
「・・・お久しぶりです」 
ガラスに映り込む姿を確認してから、ゆっくりと振り返りました。

そこには本来であればこの場には相応しくない・・・でもこよなく彼に似合うスタイルをした男性がおりました。この時に声を掛けられる予感がなかったわけではありません。
「お仕事はよろしいの?」 
「あぁ アシスタントに任せてある。少しくらい立たないと腰がおかしくなりそうだ」
苦笑いをすると、わたくしの手からシャンパンのグラスを取り上げるのです。
「ごちそうさま。これ以上酔うと仕事に差し支えるからな」 
グラスに残っていた半分のシャンパンを飲み干して・・・わたくしにグラスを返すのです。
「あん・・だ・め・・」 
左手にバッグを、右手にシャンパングラスを持ったわたくしを窓ガラスに押し付けると・・唇を合わせるのです。
「どうして連絡してこなかった」
「あなたの気まぐれだと思ったからですわ」
「パリにいても君の幻が側にいた。祥子という名前しか僕にはわからなかった。東京に戻ってからあの時間に何度か美術館にも行ったんだよ」 
男性のその言葉が嘘ではないと・・瞳の強さが告げていました。
「うそ・・・」 
でも わたくしの口から出たのはその一言でした。
「嘘なんか言わないさ。今日隣の席にいる君をみつけて僕は神を信じてもいいと思ったよ」 
もう一度 唇を重ねるのです。
「だめ・・・こんなところで・・」
「今夜は最後まで味合わせてくれるね」
「だって・・・あなたはお仕事が・・・あん・・・やぁ・・」 
ロビーにはまだ人が溢れていました。端の柱の陰とはいえ・・・大人の男女が戯れていいわけではありません。それにそろそろ上演の時間が近づいていました。
「ここで君を離したら2度と会えなくなりそうだ。今夜時間をくれるね、祥子さん」
男性の声は・・・あのときと変わらない力を持って、わたくしの心を動かすのです。
「・・・は・い」 
躊躇いがちなわたくしの返事は、上演をしらせるベルにかき消されてしまいました。
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コメント
いつもながら、魅きこまれる描写に感服いたします。

祥子さんの世界は、私の脳細胞をあわ立たせる。
貴女自身も、ご自身の描かれた世界を何度も読み返しつつ
狂おしいほどに乱れてしまっているのではないですか・・・?
そのような姿を・・・想像してしまいます。

2006/03/04 11:51| URL | しゅん  [Edit]
しゅん様
恐れ入ります。こんな風に感じていただけるなんて
このブログにとって一番のお褒めの言葉です。
わたくしも・・・ それは秘密です。
そんな恥ずかしいこと・・・言えませんわ。

2006/03/04 16:36| URL | 祥子  [Edit]
私好みの女、変貌する男、犯し方、首輪に鎖・・・。
素敵な構成です。


2006/06/17 16:40| URL | 犬飼  [Edit]
犬飼様
お好みにあったようで、ほっといたしております。
声が魅力的な高梨さんの
紳士と野獣の変貌はわたくしもびっくりした次第です。
前回お逢いしたときは、とても抑制の効いた紳士でらしたものですから。
高梨さんとのお話は、<21:00>とmsn<桜陰>でご覧いただけます。
よろしければそちらもご覧になってみてください。

2006/06/17 17:03| URL | 祥子  [Edit]
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