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SnowWhite 6

「ははははは・・・。この土地の人間とは祖父の代からの付き合いがある。人目に触れる場所であまり無茶なことはできないからね。その分だけ紳士だよ。それに、祥子さんのことはちゃんと迎えたかったしね。」
「ありがとうございます。そう言っていただけるとうれしいわ。それに、キスも。」
向き合う様に身体に腕を回している高梨さんの、二人の唾液で濡れて光る唇に・・・わたくしは左手の中指を這わせたのです。
「はは、ずっと溜めてたからな。そんな思わせぶりなことをするとすぐに襲いたくなってしまう。」
「もう、お食事でしょう。」
「祥子さんを先に食べるか。」
「ん・・だめ。」
駄々っ子のようなキスは、まるでサモエド犬の白雪が甘えるのと同じです。
キスを重ねれば、我慢できるのではなくて・・・より欲望が勝ってしまうことを解ってらして、わたくしの身体をまさぐりながら・・キスを続けるのです。
「祥子さんらしくないな、こんなスカート。せっかくの柔らかな身体が台無しだ。」
そうおっしゃりながら左手は膝丈のスカートを次第にたくし上げてゆくのです。
「お料理・・できなく・・なっちゃう・わ。」
「ああ、それは困る。祥子さんの手料理が食べられると聞いて材料しか買ってない。生野菜だけ齧るのはちょっと寂しいしな。」
「3日間は、あなただけのものです。だから、ね。」
それでも止まらない高梨さんの左手に、わたくしは右手を被せる様にしてそれ以上の淫らな行為を押しとどめたのです。

ふっと微笑んだ高梨さんの眼は、すぐに<しかたないね>というふうに和みました。
「ああ。じゃ、リビングに戻ろう。」
「すぐに行くわ。先に戻っていらして。」
わたくしは高梨さんの足元に落ちたバックを拾い上げ、白いエプロンだけを取り出してベッドの足元へ置きました。
そして、ようやくベッドルームをゆっくりと見回したのです。
いつもお逢いするレジデント棟の生活感のないお部屋とは違う・・・高梨さんらしい暖かさのあるお部屋でした。
木組みの壁や天井のせいもあるのかもしれません。
シンプルなインテリアのセンスにはかわりはないのですが、包み込むような安心感がその部屋にはありました。
「焼きたてのパンが堅くなるまえに、食事にしよう。」
「はい。」
リビングから高梨さんが呼ぶのです。
さきほどまでの駄々っ子がまるで別人のようになった彼の声に、わたくしはベッドルームのドアを閉めて高梨さんの待つリビングルームへと戻ったのです。

キッチンにはシュンシュンと音を立ててお湯が沸いておりました。
テーブルには、何種類かのペストリーと新鮮な野菜サラダが並んでいました。
「飲み物は珈琲でいいかな?」
「はい。あの、わたくしがいたしましょうか。」
「いや、窓側の席に座っていてくれればいいよ。」
床に座卓のような高さに置かれていたダイニングテーブルの足元は、掘りごたつのようなつくりになっていました。
もともと天高のある建物ですが、こうして腰掛ける事で一層空間を広く感じることができます。足元も木で覆われていて、仄かに暖かくさえ感じるのです。
「寒かったら、そこの膝掛けを使ってくれ。」
ペーパードリップ式の珈琲セットのようです。高梨さんは慣れた手つきでたっぷりの珈琲を落としてゆきます。
いつもと違う高梨さんは、ここが彼の真の生活の場なのだということを実感させました。
お湯であたためた2つのマグとサーバーをもった高梨さんが、向かい側に腰掛けます。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
珈琲は注がれただけで、いい香りが立ち上ります。
「いただきます。」
少し厚手の陶器が伝える熱は、指先から美味しさを伝えてきました。

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「美味しいわ。」
「口に合ったみたいだね、良かったよ。祥子さんが珈琲好きなのは知っていたからね。ちょっと心配だった。」
「ふふふ、手つきが慣れてらしたわ。いつもは、ほらあの下のコーヒーショップでテイクアウトしてきてしまうでしょう。」
「ま、あそこはね。僕がいれるより旨いだろう。」
「いいえ、高梨さんのこの珈琲のほうが美味しいわ。」
「ははは、ありがとう。さぁ、パンにも手をのばしてくれ。このパンはね、ここの地元の人が焼いているパンなんだよ。」
ずっしりと持ち重みのあるヨーロッパ風のパンは、厳選された小麦と天然の酵母がえも言われぬ香りを醸し出しておりました。
「ドライ・イーストじゃなくて、天然酵母なんですね。干しぶどうからかしら、美味しいわ。」
「ほう、祥子さんには解るんだね。帰る日に店が開いてたら店主を紹介しよう。今みたいに言ってあげたらとても喜ぶ。」
「ふふふ、そんなこと。普通に市販されているパンとは格段に香りが違うからそう思っただけですわ。」
「石釜も自分で作っている凝り性のパン屋でね。若い頃フランスで食べたパンが忘れられないと頑張ってるんだ。割としっかりとしたパンばかりだから、市販のふわふわの食パンを食べ慣れたこのあたりの人には人気がないって、最近愚痴ってばかりでね。はは、祥子さんに会ったらきっと喜ぶ。」
「三が日に営業なさるかしら。もしお逢いできなくても、よろしくお伝えくださいな。」
「そうしますよ。」
スライスされたレーズンブレッドも、幾重にも折り畳まれたクロワッサンも。とても美味しいのです。
合成保存料のようなものは一切使っていないようでした。そのせいで夕方には堅くなってしまうのかもしれません。食べたいときに、食べるだけの焼きたてのパンが手に入る・・・なんて贅沢なことでしょう。

「祥子さんに、お願いがあるんだ。」
ふたりの近況を話し合いながらの昼食が、ほとんど終わりかけたころです。
お代わりの珈琲をあらためていれなおして下さった高梨さんが、改まった言葉を口にしたのです。
「なんですか?」
「祥子さんの写真が撮りたい。」
「お写真?」
「そうです。」
この方はプロの・・国際的に活躍されているフォトグラファーでした。今でもコレクションシーズンは日本にいることが出来ないほどの実力派です。
だからこそ、プロフェッショナルな彼の口からこの言葉が出る事などないだろうと、わたくしは勝手に思い込んでおりました。
「もう、ご冗談ばかり。」
「いや、冗談じゃない。」
「どんなお写真をお望みなんですか?」
美貴さんたちのように・・・わたくしのはしたない姿を手元にと、お考えなのでしょうか。
「あっ、なんか誤解してますね。恥ずかしい写真を撮らせてほしいと言っている訳ではないんです。そうですね、ここで過ごす祥子さんの日常の姿を撮らせてほしい。
白雪と遊ぶ祥子さん、台所で料理をする祥子さん、炉端で寛ぐ祥子さん、僕と話をしている祥子さん、お酒に酔う祥子さん。そんなあなたを写したい。仕事ではありません。あくまで、僕の個人的なコレクションです。」

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そう聞いて、わたくしは少しだけほっとしたのです。
でも・・・。
「正直に言えば、僕に愛されている祥子さんもフィルムに納めたくなるかもしれない。でも、それは祥子さんの愛おしい一面を切り取るためで、よく市場に溢れている破廉恥な写真がほしいわけじゃない。」
わたくしは、即答できませんでした。
「現像はここの暗室で僕自身がする。アシスタントにも、見せない。祥子さんを撮らせてほしい。」
あまりに真剣な声でした。
はしたないお写真なら、わたくしの許しなど得なくても・・・忘我の境地の間に黙って撮る事もできるのです。こうしてきちんと了解を得ようとする以上、彼のフォトグラファーとしての望みなのでしょう。
高梨さんのあの深くて丸い声にここまで口説かれては、わたくしは拒否することなどできはしませんでした。
「わかりました。わたくしで宜しければ・・・。」
「ありがとう。祥子さんはいま一番興味ある被写体なんだ。」
「もう、恥ずかしいわ。お写真なんて久しぶりですもの。それでいつ、撮りますか?」
こちらに居る間にそういうお時間を作って撮影をするのだと、わたくしは思っておりました。
「いや、祥子さんは普通に過ごしていてください。カメラなんて全く意識しないでいい。ん、僕が少し熱く見つめているくらいに思っていてくれればいいよ。」
「緊張しちゃうわ。」
「ははは、祥子さんがそんなこと言うとは思わなかったよ。」
「あん、いじわるね。」
「そう。そんな顔も魅力的だよ。」
そういって、両手でフレームを作って覗き込む。
「ふふふ、モデル代たくさん頂かなくちゃいけませんね。」
「あはははは、やられたなぁ。」
最後の珈琲を飲み干して、ゆっくりと伸びをする高梨さんはとても寛いで見えました。
都会の街でお逢いする彼よりも、もっと。

「風呂の準備とか、そういうことはいつも通りだから僕がするよ。料理だけは頼む。」
「はい。」
「台所にあるものは、道具も食材も好きに使ってくれ。足りなければ、明日買いに行ってもいいしね。それと、表の畑の野菜も必要なら取ってくる。言ってくれ。」
「ええ。わかりました。」
「ふたりと一匹の気ままな年越しだ。のんびりしよう。」
おっしゃる通りでした。何かに縛られることもない、自然の中でのゆったりとした時間。
わたくしたちには、一番必要で贅沢な時間なのでしょう。
「さて、もう始めるかい?」
檜の柾目板に長針・短針だけが回るシンプルな時計は、そろそろ2時をさしていました。
「そうですね。あの、何か召し上がりたいものがございますか?」
「好き嫌いはないから大丈夫。出来たら、和食がいいかな。」
「ふふふ、珍しいのね。」
「美味しい日本酒を買ってある。」
「わかりました。あ、それからお雑煮はどんな味がお好みですか。」
「うちは醤油味のすまし汁だけど。」
「わたくしのところと一緒ですね。よかった。」
「けんかしないで済みそうだね。」
「ふふふ・・」「はははは・・・」
そうでした。
お料理についてゆっくりお話するなんてことも、いままではなかったのです。
1つずつ共通点を見つける度、わたくしたちはまるで少年と少女のように笑みを交わしたのです。

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「じゃ、あとは任せる。ちょっと白雪の散歩に行ってくるよ。」
「・・・はい。」
あら、撮影は? この方のことです。すぐに始められるとばかり思っておりました。
テーブルの向こうから伸びた大きな手が、わたくしの頬をなぞります。
「急がないよ。それに、僕がいないほうが気が楽に作業できるだろう。携帯は持っていくから、解らない時は電話をして。好きな様にしていてくれ。3日間は、僕のものなんだろう。」
「ええ。」
立ち上がり、高梨さんが選ばれた先ほどよりも厚手のコートを背後から着せかけて差し上げました。
扉一枚あけるだけで、すっと気温が下がるのがわかります。
「リビングは暖かいからね。そこにおいで。」
「はい。いってらっしゃい。」
「ああ。」
ちゅっ・・・ 玄関までお見送りをしたわたくしの唇に、まるで新婚の夫のようなキスをして、高梨さんはリードを手に白雪の待つお散歩に出掛けました。

わ・わん・わん・・・ はしゃぐ白雪の声が聞こえます。
次第に遠ざかってゆく鳴き声を聞きながら、わたくしは髪を束ねてからキッチンに向かいました。
キッチンは、広く、男性のお1人のものにしてはとても整理されていました。
1年の1/3は日本にいらっしゃらないはずなのに、高梨さんご自身がとても台所仕事がお好きかまめな方なのでしょう。
遠慮なく冷蔵庫を開けさせていただいて、用意してある素材をチェックしたのです。
牛肉のブロックが2種類、鶏肉、鴨肉、そして豚肉。
お魚はまぐろが3種類、鰤、かれい、きんめだい、いか、たこはお正月らしく紅色に酢締めされたもの。ぷりぷりとした生の筋子、それにもうお米のとぎ汁に漬けこまれている数の子、おいしそうなするめいかはまるのまま。
するめに昆布も3種類、ごまめ、かんぴょう、海苔・・・野菜は地のものを中心に一部彩りの京野菜やくわいまで用意されていました。
そして生蕎麦、角餅、かまぼこ、チーズ、黒豆・・・。
およそ、あとは技術さえあればいくらでもフルコースのおせち料理が準備できそうでした。
オーダーは、和食でした。
取り急ぎ下準備の必要なものから手がけるしかないでしょう。
3日間の大まかなメニューを決めて、まずはいかの塩辛づくりからはじめました。

お料理はほとんどが前もっての段取りが決めてです。
お野菜は洗って包丁を入れて・・・大鍋でお出しをとったり、乾物を浸したりとひとりきりの気軽さもあってお料理は少しずつですが整えられてゆきました。
含め煮の必要なお野菜は、炭のいろりに任せてあります。
今夜のための鴨ロースの酒蒸しの段取りを終えたところで、わたくしは明日の祝い膳のための飾り切りを始めたのです。
酢蓮のために、蓮根を花形に剥き、今日人参を薄い梅花剥きにします。
いかはウニをみりんで融いたたれを塗って炙る為に、松かさになるように包丁を入れると美しいですし、美味しく召し上がっていただけます。
カシャッ・・ シャッター音に気づいたのは、百合根を桜の花びらの形に飾り切りをしていた時でした。
「おかえりなさい。ごめんなさい、気づかなくて。」
囲炉裏の側の引き戸の所に、NIKON F6を構えた高梨さんがいらっしゃいました。

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カシャ・・・カシャ・・カシャ・・・カシャ・・
顔を上げて微笑んで、そうお声を掛ける間すらシャッター音は止まりませんでした。
「恥ずかしいわ、そんなに。」
濡れたままの指先で、俯き続けていたせいで少し下がった眼鏡をきちんと掛け直すまで高梨さんはカメラを下げませんでした。
「割烹着なんて久しぶりに見たよ。似合うね。」
「よくご存知ね。」
「ああ、ここに住んでいた祖母が良く着ていたからね。」
さきほどお食事したダイニングテーブルに重そうなカメラを置いた高梨さんの口から、割烹着なんて言葉が出るとは思いませんでした。
「いまは、ほとんどの方が使われてもエプロンでしょう。わたくしも普段に軽くお料理するときは、エプロンをしないこともあるんですよ。」
そうお話しながらも、手元はさくさくと動いておりました。
「それじゃ、どうして今日は割烹着だったんだい。」
「実は一番機能的だからなんです。」

あく抜きのためさっと酢水に放し、数分後、水気を拭き取って煮立った蜜の中へ百合根の花びらを入れてゆきます。ほんの数分で美味しくゆであがるはずです。薄いピンク色に染めるために、今日は最後に数滴食紅を垂らしました。
濃度のある蜜の中を糸の様に流れてゆく紅の筋があっという間に広がって薄紅に染まってゆくのです。
わたくしは、火を止めて調理台に置いた絞ったふきんの上にその鍋を置きました。
「ほう、そんなもの家にあったかな。」
「いいえ、もしかしたらと持って来てみたんです。」
「ははは・・やっぱりね。ちょっとしたことだが、きれいなものだ。」
プロのフォトグラファーとしての色彩感覚ゆえでしょうか。
アイランド型のキッチンの、少し高くなったカウンターに手をついて高梨さんは飽きることがないようにわたくしの手元を覗き込んでいました。
今度は二つの鍋を並べて、右に薄い酢水に漬けた蓮根を火にかけ、左にマリネ液の元をあたためます。手元には塩でほんの少し殺して赤みを増した人参が竹ざるに上がっています。蓮根が煮上がれば、熱したマリネ液の中にともに浸して冷めるまで待てば出来上がりです。今日は大人二人のためのものですから、一緒に鷹の爪も1つ入れる事にしましょう。
「台所仕事なんて、ご覧になっていても退屈でしょう?」
「いいや、なんか手伝えるかと思ったが、あまり手際がいいんでちょっと手出しできないでいる。」
「ふふふ、お上手ね。ちゃんと習ったわけではないからあまり期待しないでくださいな。」
「謙遜だね。手つきを見ればだいたいわかる。きちんとした仕事のできる人間の手つきはまるで書を書くみたいに無駄がなくて、美しいものさ。」
「もう、そんな風に言っていただいたら、召し上がっていただいた時にすごくがっかりされてしまいそうでこわいわ。」
「いい写真が撮れた時はね、シャッターを押した瞬間に解るんだ。現像して紙焼きして引き延ばすまで待たなくても、解る。祥子さんの手つきはそんな感じだよ。」
くっきりとした太い眉の下の鋭いまなざしを和らげて、高梨さんはそうおっしゃいました。
「それじゃ、気分だけでもご馳走のつもりでいてくださいな。」
手元の蓮根をざるに上げ丁寧に水を切ってから冷めないうちに器に入れたマリネ液に移します。人参を入れて、鷹の爪を入れて・・・きちんと蓋をした器はキッチンの一番涼しい片隅に新聞紙を敷いたコーナーに並べます。